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「喜びこそ正しい者の道」

- 2004年9月19日 -

水野 明廣 牧師

詩篇118:24-26

 神の御言葉の中には、「主にあって喜びなさい」という言葉が沢山あります。事情がどうあれ、嬉しい時は勿論、悲しい時も苦しい時も喜んでいなさといわれる主の言葉を皆さんは充分知っていることとして語ります。

 詩篇31−33章の中に主にあって喜ぶ事は正しい生き方である事が書かれてあります。喜ぶ事は正しい者の生き方です。「天にあなたの名が書かれている事を喜びなさい」と御言葉にあります。私達の名が天にあることをいつも思っているなら、いつも喜ぶことができます。又、クリスチャンの私達がイエス様が生きておられる事を本当に知るなら、状態がどうであろうと喜んで生きてゆく事が出来ます。イエス様が生きて働いておられるのです。弟子たちは、復活されたイエス様にお会いしたからこそ、奮い立つことができたのです。ハレルヤ!主は生きておられます。

 旧約聖書にも新約聖書にも喜びなさいと書いてあります。意味もなく喜べといわれたのではありません。イエス様を信じる故に、痛み、苦しむ人に人の痛みを負って下さったイエス様がそばにおられて「私も共に苦しんでいるよ」と言われています。嬉しいことです。詩篇118:22「(神の)家を建てる者たちの捨てた石・・・・」神の家を治める宗教家たちが捨てた石。この石がイエス様だったのです。しかしそれは一番大切な土台石になったのです。神のなさることは人の思いをはるかに超えています。喜びましょう。

 エジプトで奴隷だったイスラエル人が苦しんで叫んだ時、その声が天に届き、神は奇しい方法でイスラエル人を脱出させて下さいました。民はエジプトから出た時、それ迄のすべての生き方、罪を引きずって新しい地で同じ生き方をしました。それは私達への警告であり、教訓です。救われた私達はこの世と調子を合わせる生き方、罪を捨てて主に喜ばれる生き方をすべきです。

 イエス様は御霊に溢れ喜びに溢れておられました。その証拠に子供達がついていきました。そうでない人には正直な子供達はついて行きません。私達も主にあって喜びに溢れて生きたいです。パウロはピリピ4:4で「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」と語っています。パウロは神の器として牢獄のひどい状態の中であるにもかかわらず賛美し、人々にいつも喜ぶ事をすすめています。何故喜ぶことは大切なのでしょう。

1.健康に良い 「陽気な心は健康を良くし・・・・」 箴言17:22
2.神の国は喜びにあふれているから「・・神の国は、義と平和と聖霊による喜びだから」ローマ14:17
3.神が望んでおられるから「いつも喜んでいなさい・・・これがキリスト・イエスあって神があなたがたに望んでおられることです」Tテサロニケ5:16〜18
4.喜びの声を上げると主は立ち上がられる。詩篇47:5。主は全員に向かって私の愛する息子よ、娘よ、私を信頼し、あなたの喜びの声をあげてごらん。私が立ち上がるからといわれる。 

喜びなさいといわれるのはあなたたちのためだからです。主は絶対に見捨てられない方です。愛し、ゆるし、主の力と能力を与えて下さる方。しかし、私達から喜びを盗むものがあるのです。人ではなく悪霊です。ですから私達は主にあって一日を生きましょう。

2004年9月23日更新

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