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「祝福を味わうために」

- 2004年9月26日 -

水野 明廣 牧師

詩篇109:1-6

  祝福を味わうということが今日のポイントです。おいしい食事が出されても味わえる人と見てるだけの人、また味わえない人、全然喜べない人がいます。同じ食事を食べても味わえる人、「私は味わえない」ということが無いように、祝福を味わうために聖書の御言葉を与えられています。祝福は味わうという事が大切です。聖書はイエス様についての証です。

●ヨハネ5:39 「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」

聖書の御言葉はイエス様の事を言っていますが、イエス様は「私を愛するものは私の言葉を守る」「私の言葉を守るものは私を愛している」とおっしゃっています。なぜかと言いますとイエス様は“言葉”だからです。

●ヨハネ1:1「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
●ヨハネ1:14 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」

と聖書に書いてあります。つまり神様の御言葉が私たちの間に来られた。これがイエス様です。

イエス様の言葉をたくさん持っている人はイエス様との関係が深まります。イエス様の言葉があまり無いとイエス様との関係も交わりもあまり強くありません。クリスチャン生活で一番大切な特徴は、イエスキリストは私たちの罪の為に十字架に死なれたことです。ですからイエス様を信じるものは誰でも救われて罪の呪いと神の怒りに会うことなく、永遠の命を持つ神の子供となって生きるのです。
そしてその御言葉を信じると言う事は、イエス様を信じる事なのです。その御言葉を心に受け入れる事は、イエス様を心に迎える事なのです。

●ヨハネ1:12 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」

イエス様は言葉で私たちの内に住まわれているのです。イエス様の御言葉は非常に大切です。イエス様はこの御言葉は私の証ですとも言いました。と同時に御言葉を与える事はあなた方の幸せのためなのですとも言われました。

●申命記10:13 「あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。」

と書いてありますが、私たち人間は自分の思いとか考えを強く持っていて、なかなか御言葉には従わないのです。モーセやアブラハムが立派だったのは、神様に従ったからです。能力があったからではありません。神様に従う事が彼らには出来たのです。主に従いましょう。

また、今日、イエス様が私たちにとても強く願っていらっしゃることは、御言葉を私たちが守る事だと思います。なぜ守ることかと言いますと、御言葉は私たちに罪を犯させない力があるのです。私たちは聖く保たれます。その御言葉を心に受け入れる事はイエス様を心に迎える事なのです。 御言葉がたくさん入ってくる事によって私たちは守られます。でも、御言葉があなたを守る力がある反面、この世は御言葉からあなたから離そうとします。御言葉によって心を満たしていかないと、世の中の言葉がいっぱい入ってきて、それが私たちを満たしてしまいます。ですから御言葉を心に蓄えることが大切です。

●Tペテロ1:23 「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」

私たちが新しく生まれ変わったのは神様の御言葉からです。神様の御言葉が私たちを神様の子供として、救われたものとしているのです。

●Tペテロ2:2 「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」

神様の子供となった私たちは毎日御言葉が必要なのです。御言葉によって新しく生まれるし、御言葉によって育つのです。御言葉が私たちを罪から守ります。毎日主の御言葉を唱え、口にする習慣を身に付けて下さい。クリスチャン生活とは、イエス様の御言葉と共に生きるのです。

●詩篇119:165 「あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。」
●ルカ17:1「つまずきが起こるのは避けられない。」

イエス様を愛するという思いで、皆さんが御言葉をほんとに大事にし、愛していかれたら何が起こるか、どんなつまづきが起ころうとしてもあなたは守られ平安を持つ事が出来るのです。
なぜ多くのクリスチャンが躓いたり、捕らえられているのでしょうか?それは御言葉を聞いただけだからです。私たちは御言葉を心に蓄える事があまりにも少なすぎて、あれで躓き、この人が言った事に躓き、あの人がした事に躓き、躓かされている、あるいわ躓きを与えられたと言う言葉さえも飛び交っています。私たちが躓く、あるいわ躓かされるという言葉を使ったりしますが、神様の御言葉の中には少なくとも御言葉を愛している人は躓く事がないと言う事です。
躓きが起きてくる事は避けられないでしょう。私たちをキリストの信仰から引き離す、これが躓きの意味であり、神様との関係、人間関係をこわすものです。そういうことが起きている世の中において、御言葉を蓄える事はまさにイエス様を心に蓄える事と同じです。御言葉は私たちを成長させます。聖霊はいつも御言葉によって働かれます。

また、主はあえて私たちを苦しい目にあわせられます。それは、

●申命記8:3 「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。」

とあるように、御言葉に生きるためです。御言葉をしっかり持つとき、あなたには神様が共におられます。まさに神様をしっかり持つ事と同じです。どうぞ御言葉を蓄える人になって下さい。


愛して下さるイエス様、あなた御自身は神の御言葉でした。御言葉が人となられて人々の中に住まわれたお方です。同じようにあなたのお言葉を私のうちに受け入れてもっと受け入れていけばあなた御自身が内におられる事、あなた御自身によって生きる事が私の身に成りますので、御言葉を蓄える事、御言葉を守る事を聖霊様によってさせて下さい。もっと御言葉に満たされたいのです。あなたの御言葉が私の道の光です。わたしの歩みを照らす光です。イエス様の御名によってお願いします。アーメン

2004年10月1日更新

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