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「弱さは主と共に生きる恵み」

- 2004年12月12日 -

禹 浩鉉 師

Uコリント 12:1-10

 9節に「しかし主は『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力がわたしをおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」とあります。

 このみことばの背景は1〜5節にあります。パウロは、「なんと私は天国へ行ったのですよ!でも私はこの事を誇りません。何故なら自分の力で行ったのではないからです。それなのに人が私が天国へ行ったと聞いて何か偉大なものであるかのように思われるといけないので誇りません。その啓示があまりにもすばらしかったので、私は神から高ぶらないようにと、トゲ(病い)を与えられました。これを取り除いてほしいと何回も祈ったのですが、主は「わたしの恵み、力は、弱さの中に完全に現れるからあなたは自分の弱さをはっきり自覚しなさい。私はあなたの弱さを知っている。悩まなくても良い」といわれました。

 私たちクリスチャンは、信仰生活の中で多くの恵み・奇跡を体験しますが、クリスチャン生活の中で大切なのは奇跡ではなく、神を中心にすることで、あり神に聞き従うことであります。従うことに伴って奇跡が起こり、恵みがあると知るべきであります。
 生きて働いておられる神は、弱い私たち一人ひとりを愛して下さって、苦しみを神の前に差し出すとき、助けてくださる方なのです。

 しかし、今日のみことばは、神の思いと私たちの思いとは違うことを教えられます。それはクリスチャンの生き方はこの世の生き方とは違うということでもあります。この世は自分の弱さを誇りません。人にその弱さを語ったりさらけ出したりしません。
 しかし、クリスチャンは弱さの中に働いてくださる主の故に、弱さを誇ることが出来るのです。人間は皆、自分をほめてもらいたい、認めてほしいと思っています。そうすると無理をし、疲れます。心身の弱さを素直に認めるなら、その時から主と共に歩むことが出来ます。主は言われました「重荷を私におろしなさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と。(マタイ11.28)私たちは弱いのです。その弱い自分を認め「主よ、私は弱いのです。主の助けが必要なのです。あなたと共に生きたいのです。」と告白するなら主は助けて下さり、確かに祈りに答えて下さる方、いつも共にいて下さる方なのだと言う事を知る人生になるでしょう。

 自分の弱さを認め、へりくだって助けを求めて下さい。私たちの人生には避けて通ることの出来ない色々な問題が起こりますが、神は私たちの霊的父ですから、私たちの事を放っておかれることはないのです。父はいつも働いておられます。目には見えないけれど、霊の世界で働いておられ見える形でその結果が現れています。私達は主の御手の中です。

 ヨブ記のヨブは財産・名誉・立派な子供達、全ての持ち物は神に守られ祝福されていました。さぞ、誇らしかったでしょう。しかし、ある日、告発するものサタンがあらわれ「この全ての持ち物を取り去ればヨブは神をのろうに違いない」と神をそそのかし、神の許可のもとに全てが取り去られ、身体中が悪性の腫れ物でおおわれます。この苦しみ、悲しみ、痛みの中で、友人達との議論の中で神自らヨブに語られ、自分がそれ迄知っていたと思った以上に神は大いなる方であり、そのあまりの偉大なるみわざの前にいかに自分は小さい弱い者であるかを悟り、神の前にへりくだり「私はあなたのうわさを聞いていましたが、しかし今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。」と告白しました。その後、神は以前にも増して、ヨブを豊かに祝福されました。私達は皆、全ての点で弱い者であります。弱さを認め神に頼る私たちを神は愛して下さいます。

 この神の愛は、神の御子をこの地に送って下さり、罪深い人間のために十字架上で罪のいけにえとされ、人類を救う御業をされるという人知をはるかに越えた愛で示されました。十字架の上でイエス様は「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか・・・。」と語られました。これはまるで失望した言葉のようにも受け取れます。詩篇22編を見ていくと、その後の言葉には父への賛美を語っておられます。

●詩22.3「けれどもあなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます」

 私たちの弱さの中で主が働いて下さることを、信仰を持って認めてその事を喜び感謝しましょう。不信仰で私達がつぶやくとき、主の恵みを遠ざけているのです。

●ヘブル4.16「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」

とあります。近づく第一歩が主を賛美し、感謝する事です。主と共に生きるとは、主を認める事であり、主の主権を認める事であります。不信仰、つぶやきを捨て、賛美する事こそが祝福の基です。
 恵みを数え感謝しましょう。自分の弱さを主の前に全てさらけ出して、主が全てのことを働かせて益として下さる事を信じて感謝しましょう。主のみことばの約束は真実です。
 何が起こるかわからない人生ですが、何が起こっても主に信頼し、感謝し、賛美し、主に従ってゆくなら皆さんの中に主の不思議な御業がなされることを信じます。

2004年12月18日更新

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