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「クリスマスの礼拝は」

- 2004年12月19日 -

水野 明廣 師

マタイ2:1-12

 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサ
レムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たち
は、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレ
ム中の人も王と同様であった。そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生ま
れるのかと問いただした。彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているから
です。『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イス
ラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから
星の出現の時間を突き止めた。そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、
わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、
東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、
彼らはこの上もなく喜んだ。そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。
そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。それから、夢でヘロデのところへ戻るな
という戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。[マタイ2:1-12]

 ここでは、新約聖書で初めて拝む(礼拝する)という言葉が使われています。礼拝という言葉のギリシャ語の
言語はブロスクーニオ、英語では Kissing around です。この言葉の語源は犬が主人を大喜びしてまとわりつく
有様から生まれました。当方の博士たちは大きな犠牲を払って、時間や労力を惜しまないで、ただ神の御子を礼
拝するだけのために遠い道のりをやって来ました。今日、ここから私たちが学ぶ第一の教訓は、常識を超えた彼
らの行為は神の目には賢かったということです。私たちが主を礼拝するためにわざわざ出向くことは、人間的に
考えれば愚かなことかもしれません。しかし、神の次元、永遠の中では人間が果し得るもっとも賢明で崇高な行
為なのです。主にあっての労苦や捧げ物は何一つ無駄になることはありません。(参考Tコリント15:58)私たち
が救われたのは神に仕えるため、神を礼拝するためです。

 第二の教訓は、ヘロデが恐れ惑ったとあるように、この世の主権者であるサタンが真の礼拝者に対して恐れと
困惑を感じているということです。サタンはあらゆる手段を用いて、私たちが主に夢中になって、主だけを礼拝
することを妨害します。サタンは私たちの弱点をよく知っていて、私たちの心を主よりもこの世のものに向かわ
せて、神への集中力、愛、献身を奪おうと働いているのです。

 しかし、私たちが何よりも主を礼拝することを第一とし、主を愛し、主を喜び、主をほめたたえる時、主が立
ち上がられます。御国が来ます。私たちが真の礼拝者として主を礼拝することはサタンの存在を脅かしサタンに
大きな打撃をもたらすことになります。

 第三の教訓は、博士たちが星に導かれて来たということです。星は暗闇を照らす神の光を表しています。聖霊
が彼らを導いたのです。彼らがメシアを慕い求め探していたので聖霊の導きを受けたのは偶然ではないと思いま
す。私たちは聖霊の導きと助けがなければ真実の礼拝をしていくことはできません。神を礼拝するものは霊とま
ことによって礼拝しなければなりません。私たちが博士たちのように本当に神に渇き主にお会いした感動により、
すべてを投げ出して礼拝するなら主が臨在を現わしてくださいます。主が私たちとともに折られるならこれが最
高の祝福です。主は教会の中に一人ひとりの人生に神の栄光を見せてくださいます。主の御降誕を祝うクリスマ
スの時、私たちが主の求めておられる真の礼拝者となり、益々私たちの人生が主を礼拝する人生となりますよう
に祈ります。

2004年12月23日更新

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