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「豊かな収穫を知る人、豊かに蒔く人、信じて待つ人」 

副題:経済的問題を克服する。

- 2005年2月6日 -

水野 明廣 牧師

箴言3:9-10

  スマトラ沖地震のために、この教会からも100万以上を献金しました。このお金も、捧げることのできるお金としてみなさんに備えられていたからです。種まきの法則をご存知ですか?種を蒔いたものだけが収穫することができます。そして、たくさん蒔けば多くを刈り取りますが、少ししか蒔かないと少ししか刈り取れないということです。

●Uコリント9:6 「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」

この献金もそうです。多くの収穫を得たいと願うならば喜んで種を蒔いてください。そうしたら主がたくさんの収穫を備えてくださいます。

しかし、私たちは初物を捧げさえすれば、あとの生活はおろそかでもいい、というわけではありません。この世の富はよく管理すればするほど、神はさらに任せてくださるのです。まず、主に初物を捧げてみましょう。

●箴言3:9-10「あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。」

この話しをするのは、捧げ続けるということがチャレンジだからです。まず、第一に捧げるということは自分の分もきちんと管理する必要があります。第二に捧げ方も重要です。捧げ方が重要なことは、聖書にもいくつか書かれています。モーセがシナイの山から降りてきたときに主はモーセに言われました。

●出エジプト25:2 「わたしに奉納物をささげるように、イスラエル人に告げよ。すべて、心から進んでささげる人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。」

また、パウロも言っています。

●Uコリント9:7「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」

主は生きておられます。

●マルコ12:41-42「それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。」

イエス様は見ておられました。しかし、この見方は原語では「じっと見る」という言葉です。この言葉は聖書で2箇所しか出てきません。一箇所はこのやもめの個所です。そしてもう一箇所は、十字架に架けられたイエス様が墓に入れられる様子を弟子たちが見ていたとき、

●ルカ23:55「ガリラヤからイエスといっしょに出て来た女たちは、ヨセフについて行って、墓と、イエスのからだの納められる様子を見届けた。」

という個所です。神は今でも、捧げる私たちの心の内をじっとごらんになっています。それは、金額ではなく、喜んで捧げる心を主は好まれるからです。捧げる心に主は何を見ておられるのでしょうか。それは、神への愛の証明です。次に神への熱心、熱意を見ておられます。そして、神への感謝の現れです。最後に神への従順の証です。私たちの富は私たちが大事にされているものに使われていきます。神様はそれをじっと見ておられます。

エリヤが、やもめに「一口のパンも持って来てください。」と頼んだ時のことはご存知でしょうか。

●T列王17:12-14「 彼女は答えた。『あなたの神、主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。』エリヤは彼女に言った。『恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』』

まず、あなたの持てるものの中から主に捧げて見てください。
これは私自身(水野牧師)の証になります。まだハートフォーザワールドの働きのない以前、私の必要のためにと、ある方が多額のお金をくださいました。しかし主は、私にそれをその働きの種まきとして捧げるよう示され、捧げました。この小さな種から、教会からたくさんの支援者が出るようになり、何人も支援のために現地を訪れるようになりました。また、現地ではヒーリングハウスといって、傷ついた子供たちをケアする施設までできるようになりました。まず種を蒔くならば、私たち自身が祝福されるだけではなく、その働きも祝福されるのです。

●Uコリント8:10 「この献金のことについて、私の意見を述べましょう。それはあなたがたの益になることだからです。」

献金のことについてよく理解することは私たちにとって良いことなのです。主は一方的な愛により、イエス・キリストの十字架を通して、私たちの罪を贖ってくださった方です。イエス・キリストの命に生きる私たちが、いつも祝福を受け取ることを望んでおられないはずはありません。

●Vヨハネ「1:2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」

このようになることを望んでおられるのです。まず、神への愛と信仰を主に捧げましょう。主は私たちの酒蔵に必要なものを知っておられます。私たちに与えられたすべての物を賢く管理し、振舞いましょう。十分の一献金についてですが、私たちに与えられたものの十分の一は私たちの物ではなく、神へ捧げるために備えられた神のものなのです。

●マラキ3:8「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。」

一方で、この十分の一の祝福も主は約束されています。

●マラキ「3:10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。・・万軍の主は仰せられる。・・わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」

十分の一を感謝を持って、いやいやながらではなく喜んで、進んで信仰をもって神にささげましょう。そうすれば、私たちの倉は豊かに満たされ、私たちの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれるでしょう。

2005年2月11日更新

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