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「神に愛されているので」 

- 2005年3月20日 -

水野 明廣 牧師

Tヨハネ4:7-14

 皆さんは先週、誰かに愛の言葉をかけたり、また自分が愛の言葉をかけてもらったことがどれくらいありましたか。悲しいことに私たちの社会では、何か良いことができたときだけ受け入れられ、自分が無条件に愛されているのだと感じることが少ないようです。子供が一番喜びや幸いを感じるのは、どんなすばらしいプレゼントをもらった時よりも、自分が愛されていることを知った時です。父なる神様はひとり子を遣わし、その命を与えてくださるほどに私たちを愛してくださいました。神に敵対し罪人であった者にさえです。(参考 ローマ5:8)
 この世の中で一番悲しいのは、この神の愛が人々に伝わっていないことと、クリスチャンであってもこの愛が自分のものになっていないことです。これは私たちの問題です。冷たい世の風潮の影響を受けた存在として、神の御前で正直に聖霊様に助けを求めましょう。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ 5:5)神は愛であり、また義なるお方です。罪人の私たちを神の怒りから救うために御子をなだめの供え物として下さいました。イエス様は私たちの身代わりとなって十字架で死んでくださいました。すべてが十字架のおかげです。私たちはイエス様の十字架以外に誇るものはありません。(参考 ガラテヤ6:14)イエス様が捕らえられ、縛られたのは私たちを自由にするためです。不自由とは監獄に閉じ込められているような身体の束縛だけを言っているのではありません。私たちが怒り、恐れ、不安などを心に持っているならそれが私たちを不自由にします。
 イエス様の愛は私たちに本当の自由を与えてくださいました。私たちは受けた自由を肉の欲のために用いてはなりません。愛されているからです。愛されていることを知ることがクリスチャン生活の基本です。「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ3:19)私たちが知った愛で聖霊様の助けによって、愛するために生きるものとなるのです。私たちは規則によって縛られる関係ではなく、愛されているから・・・、愛しているから・・・、愛を基として全てのことを行います。愛が無いならすべてがむなしく何の値打ちもありません(参考 Tコリント13:2)私と私の周りの人々が神がどんなに愛して下さっているのかを知ることができますように。 そして、愛されている存在として愛をもって語り、行うことができますようにと聖霊様にすがりましょう。何よりもまず愛を追い求めましょう(参考 Tコリント14:1)今週は受難週です。イエス様は十字架への道を歩まれ、死んでよみがえられました。これは紛れも無く現実に起こったことです。すべては私たちのためです。主の愛は絶対に変わることがありません。約束の聖霊様は今日も働いておられます。神の愛は私たちの心に注がれています。どんなときにも、この愛に応答して行動することができますように。人々に愛の言葉を掛け、愛を行動に表すことができますように。聖霊様の助けを求めて祈ります。

2005年3月23日更新

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