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「収穫の課題を克服するために」

- 2005年4月17日 -

水野明廣 牧師

マタイ9:37-38、箴言14:4

 私たちが救われたのは天国に行くだけのためではありません。主は私たちを主の務めをさせるために召されました。主は私たちが主の働き人となることを願っておられます。

 ダビデがサウルから逃れて洞穴に避難していた時、彼のところに集まってきた人々は問題のある人、借金を負った人、不満を持った人たちでした。(参考 Tサムエル22:2)

 イエス様のもとに集まった人々も同様でした。イエス様の弟子たちもエリートでもなく、立派な人、聖い人でもありませんでした。また、イエス様ご自身は人々が見とれるような存在ではなく、人々にとっては「家を建てるものたちが捨てた石、それが礎の石となった。」のであって、「つまづきの岩、妨げの石」でした。しかし、イエス様に信頼するものは決して失望させられることはありません。(参考 Tペテロ2:6-8)人は外見などの第一印象で最初は人との関係を持ちますが、その後の長い付き合いの中で、その人の品性によって関係を築いていくことを覚えておいてください。

 また、イエス様は完全になった弟子を遣わされたのではありません。むしろ人間的な弱さ、欠点のある人、解決されていない問題を持ったままの人達を遣わされました。彼らはイエス様に遣わされた後でも、相変わらず比べあったり、すぐに怒ったり、イエス様のお言葉を真剣に聞くことも悟ることもできていませんでした。私たちは自分が主の働き人としてふさわしくない、自分はまだ整えられたクリスチャンでないから、自分が理想としている者になっていないから、自分には主の働きができないという間違った考えを捨ててください。自分がクリスチャンになってどんなに成功したか、立派になったかを知ってほしいと思ったら伝道はできません。イエス様がすばらしいのです。十字架の言葉だけを伝えればよいのです。クリスチャンは主の恵みを流す者です。たとえていうと水道管です。重要なのは流れてくる水です。人々はすばらしい水道管を求めていません。人々が必要としているのは水であるイエス様です。十字架の言葉は滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには神の力です。(Tコリント1:18)
 神様の御心は宣教の言葉の愚かさを通して人々を救うことです。イエス様は優秀な人、立派な人を働き人として求めておられません。単純に福音を伝える人を求めておられます。福音とは十字架のイエス様です。主がほしいのは「イエス様がすばらしい。」と言う人です。イエス様を愛してイエス様に夢中の人です。主の収穫のための最大の課題は働き人が足りないことであり、また働き人がしばしば汚す者であることです。しかし、「牛がいなければ飼い葉おけはきれいだ、しかし牛の力によって収穫は多くされる。」(箴言14:4)と聖書は教えています。収穫のために、人が人であるために起こす問題を乗り越えるには、次の三つのことを覚えてください。

1. 人が見えるように人を見ない
2. 助けと協力には必ず課題がある
3. 大きな問題、大きな課題は大きな収穫につながる

「こうしてあなたは、御救いの盾を私に下さいました。あなたの謙遜は、私を大きくされます」(Uサムエル22:36)
謙遜は神様の本質です。主はへりくだった砕かれた心の人を用いられます。イエス様がほしいのはあなたです。

2005年4月23日更新

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