トップページへ神の家族キリスト教会

 

「信仰の確信を持ち続ける」

- 2005年4月24日 -

禹 浩鉉 牧師

ヘブル3:13-15

 「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。「きょう、もし御声に聞くならば、御怒りりを引き起こしたときのように、心かたくなにしてはならない。」といわれているからです。(ヘブル人への手紙3:13〜15)

 この御言葉は基本的には、「救いの確信をしっかり持ちなさい。そうすれば、キリストにあずかる者となります。そして神様は色んなかたちで私たちを励まして下さいます。ですから、私たち兄弟姉妹が互いに励まし合って、罪に惑わされて頑固になった心をほぐし、信仰によって歩み続けて救いの働きをしていく」という意味の御言葉ですが、でも、この文脈にとらわれずに、主は私たちの必要のために語ってくださる事もよくあるんです。
私は、いままで主に励まされて、また聖霊様に励まされてここまで来ました。自分で一生懸命に一生懸命に頑張って、歯をくいしばって泥だらけになってここまで来たんではないんです。でもあるところまではそういう考えがあったんですね。信仰というと一生懸命頑張らないと恵みから落ちてしまうんじゃないか、という考えがあったんですが、ある時、はっと気がつきました。「これ信仰じゃない。恵みの信仰じゃない、自分の信仰。こんなことをやっていたら続かないわと」思いました。

 恵みというのを私たちが豊かに豊かに知るとき、自分のリキミが消えます。主を本当に熱心に愛して主に委ねていくということが出来るようになっていきます。その中で大切な事は、最初の確信をしっかりと持つことなんです。祈りに関してもそうです。神様に祈らなくても全てが解決し全ての必要が満たされているということがありますか?今まで祈っても祈っても満たされないという人もいるかもしれませんね。私たちが主の民として歩んで行く中で、主からの励ましが必要です。主は何度も何度も私を励まして下さいました。ある時は、エペソ3:16の御言葉を通して励まして下さいました。「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」
皆さんが私をどう見るかわかりませんが、これでもナイーブなところがあるんです。あることであんな事しなければ良かった。あんな事言わなければ良かったと悩んだり思ったりするんです。私たちが信仰によって歩まないというときに、信仰がなえてしまうという事があるんです。信じたいけれども信じられないと、どう信じて良いのかわからない・・・とだんだん信仰が哲学的になってしまうんです。

 キリスト教信仰というものは、神の御言葉に信頼して、この御言葉を実際に体験していく。それがキリスト教の信仰です。というのは、神様は生きていらっしゃいますから。生きていらっしゃる神様を私たちは信じていますから、この神が語られた御言葉は、現実に私たちの生活の中で適用され、御業が現れるのです。人間的には何の希望もない状況の中にいても、主が御言葉を語って下さり、そして約束して下さっているのならその通りになるのです。もし神様がこの言葉はあなたのためではない、とおっしゃっているのなら諦めて下さい。

 しかし、そのようにおっしゃっていないのなら、皆さんの方から諦めてはいけません。また、この御言葉は主から来たものなのかサタンの惑わしなのか、肉の思いなのかと、何度も何度も祈りの中で吟味して見分けなければいけない事がたくさんあります。サタンだって御言葉を引用します。マタイ4章を見ますとイエス様が水と聖霊のバプテスマを受けてこれから働きをはじめるという時に、荒野に追いやられ40日の断食をさせられました。そしてサタンが来てイエス様を試しました。イエス様を神殿の頂に立たせて御言葉を引用し騙そうとしました。サタンは御言葉を引用して人を騙すということをよく知っています。御言葉を私たちの恵みとして霊の糧として豊かに味わうだけでなく、私たちの人生の道しるべとして用いていくときに、それが主から来た御言葉であるなら必ず祝福されます。私たちは祈りによって、聖霊の火によって見分けて聖めていただいて、主に信頼し期待して祈り求めていきます。主から与えられた確信を、主が語って下さった言葉を、しっかりと握りしめているならその方は必ず神の御業を体験します。
でも中にはその確信を投げ捨ててしまう人もいるのです。待つことは私たち苦手ですね。でも待たなければならないなら主に信頼してやはり待ち続けます。そうすれば必ず主の御手が動きます。「猿蟹合戦」という物語がありますよね。蟹がおむすびを持っていて猿が柿の種を持っていて交換します。どうして交換しますか?猿は早く食べたいんです。待てないんです。柿の種を蒔いて芽が出て木になって実がなるまで待ちたくなかったんです。「桃栗三年柿八年」という言葉がありますが、蟹はこの事を知らなかったのでしょうか。8年待たなきゃいけなかったらいりませんと言っていたかもしれません。

 時には私たちは待たなくてはいけないことがあります。それは私たちが祈り求めていくこの期間も、私たちにとっては非常に重要な時なんです。その期間の中で、私たちはまず神様の取り扱いを受けます。私たちの主は愛の神様です。あるがままの私たちを受け入れてくださいます。でもあるがままで放っておかれる神様ではありません。もし私たちが神様に受け入れられたといって放っておかれたらどうなりますか?自分の力で生きて行くということでしょう。耐えられないでしょう。自分の中にある罪によってサタンの攻撃もあります。それによって倒れてしまいます。エペソ6:16には悪いものが放つ火矢を信仰の大盾で守ることが書かれています。私たちは主の取り扱いを受けて、練られていかなければなりません。キリストの香りを放つ者とし聖めるためです。もし私たちが悪臭を放ったら誰が私たちのところに来たいですか?練られていく中で、私たちは時には罪を捨て、汚れを捨て、間違った思いを捨てていきます。神様に対して正しい知識と正しい思いを持っているなら、神様に近づくことが出来ます。もし、蒔かないところから刈り取るけちな神様だと思ったら、誰が神様の所に来ますか?誰が什一献金しますか?主のものは主に返すから什一返金なんです。天の窓を開いて祝福してくださるという御言葉があるから、私たちは信仰をもってお返しするのです。種を蒔くとき主は刈り取りの時を与えてくださいます。主は必要に応じて必ず報いて下さるんです。その信仰があるから私たちは喜んでお返しするんです。信仰によって歩んでいくとき、その歩みに報いて下さり応答して下さる・・・キリスト教信仰は神の言葉を体験する事。この御言葉の中に私たちのために多くの約束があります。この御言葉を体験する事は私たちの生活の助けになり、私たちの人生の助けとなります。自分の人生の重荷を自分で背負っていく人生はあまりにもつらすぎます。でも主が共にいてくださって共に背負って下さり、助けて下さるのであれば目の前にある色んな問題困難を必ず乗り越えさせて下さいます。

 神様に何かを求めるとき、自分の祈りは正しいんだろうか、これは主の御心だろうかと思ったら主に御言葉を下さいと祈ってください。御言葉を下さったら御言葉とともに必ず確信がきます。しっかりと保っていくならば神様の御業を見ることができます。たとえ環境がどうであろうと、状況がどうであろうと、問題がどうであろうとそれに揺り動かされないで大木のようにしっかりと立ち、主の御業を待ち望み、神の栄光を見るものとなりますように。私たちは恵みによって救われました。イエス様は御父の御旨に従い通しました。主に従って行く道が一番平安な道なんです。安全な道、祝福に富んだ道なんです。自分の思いで歩むから問題があるんです。神様は私たちの霊のお父さんです。お父さんと大胆に呼べるんです。諦めた人生を送らないで下さい。もっと大胆に祈ってください。皆さんが生き生きとした活力のある信仰生活を歩んでいくために、神様に正直に自分の内側にあるものを全部お話して受け取って頂いて、主からの言葉を頂いて歩んでいきましょう。神様が生きておられることを体験できるはずです。主に大胆になっていき主の取り扱いを受けていく時、私たちは間違いなく成長していきます。聖められ成長する事によって安定していきます。皆さんが豊かに実を成らしていくことを心から願います。忍耐を育むことは成長していくあかしです。主は皆さんを取り扱っておられますが、それは全く意味のない取り扱いではありません。皆さんが神様の栄光を見るものとなりますように。

2005年4月28日更新

先頭へ

戻る