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「良い実を残すには いつまでも残る収穫のために」

- 2005年5月1日 -

水野 明廣 牧師

箴言16:20

 

 「WWJD」と書かれた紐が海外で一時多くの人の腕にはめられていました。それは、「What Would Jesus Do?-イエス様ならどうされるか?-」という意味です。そのことをいつも意識するためにはめられていました。
先日のJR福知山線の事故を始め、世の中いつ何が起こるかわかりません。しかし私たちはいつも主により頼み、身を避けることができます。箴言16:20には「みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」とあります。主に信頼すること、より頼むことの重要性は聖書の中にたくさん出てきます。

●詩篇40:4「幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。」
●詩篇34:8「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」

主にすべてを委ねたならば、私たちは死を予感する時でも主に全くゆだねることができ、平安を得ることができます。以前わたし(水野牧師)は、キャンプ場でファースト先生と井戸を掘っていたことがありました。小柄なこともあり、私が中に入って掘り進めました。5m、7mと掘り進んでいった時、突然に水が出始めました。喜んでいたら、土砂が上から落ちてきて、腰の上まで埋まってしまったのです。水は下からどんどん溢れてきて身動きができませんでした。その時わたしは死を覚悟しました。主よ、身元に行きます!と告白したら、首の下辺りで水が湧き出るのがピタリと止まりました。また、ある時、ロープウェイに乗ったときにゴンドラが傾いて随分下のコンクリートの上に落ちそうになったときに、私はとっさに鉄棒につかまりました。わずか一瞬のことでしたが、時間がまるで凝縮されたように、幼いころから体験したことなどが映画のように思い出されました。そのときも主よ!身元に行きます!と叫びました。私が自分自身のことをも全く主に委ねることができることは幸いです。主により頼む毎日を送りたいと思っています。明日を誇るのではなく、今日突然に何か起こっても主により頼むことができます。
旧約の中には多くの王様が出てきます。彼らの多くは、始めは主により頼んでいたのに、いつしか主から離れ、神の教えを捨ててしまいました。

●歴代史12:14「彼は悪事を行なった。すなわち、その心を定めて常に主を求めることをしなかった。」

それゆえ、離れてしまったので、多くの苦難に会うことになりました。どうか私たちは主の御言葉を愛し、主により頼み、幸いな人生を送りましょう。
ダビデは生涯主に信頼し、より頼み続けた人です。詩篇の3:5で「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。」と告白しています。この言葉は決して良い状況の中で出てきた言葉ではありませんでした。詩篇3:6では「私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。」とあるように、多くの敵に囲まれている時に告白した言葉です。そのように、どのような状況でも全く主により頼むことができるならば私たちは平安を得ることができるのです。

また、日々の仕事をし、落ち着いた生活をすることも大事なことです。Tテサロニケ4:11では「また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。」そして、こうも語られています。Uテサロニケ3:1-13では「ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。しかしあなたがたは、たゆむことなく善を行ないなさい。兄弟たちよ。」私たちは主により頼むだけでなく、神のための良い働き人として生活をし、進歩していく事もまた大事なことなのです。そして、日々の生活の中で、眠ることも、食べることも、学ぶことも、仕事をすることも、主の栄光を表すためにおこなっていきましょう。

●コロサイ3:23「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」

そして、いつでも御言葉を心にとめ、心に蓄えておくことは大事なことです。イエス様もサタンの誘惑に会われた時に、〜と書かれている、と御言葉を用いて勝利されました。御言葉は神そのものです。そして、御言葉を愛するものは幸いです。

●詩篇119:165「あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。」
●コロサイ3:16「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」

時々御言葉に心を留めるのではなく、人の言った言葉を心に留めて何十年も苦しむ人があります。しかし、御言葉ではそのことについても注意しています。伝道7:21では「人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。」私たちがいつも御言葉を愛し、蓄え、心に留めることができれば幸いです。私たちの命は御言葉によって生かされているからです。そして、申命記8:2-3では「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。」

いつでも御言葉に心を留め、心に蓄えていくならば私たちはすべてにおいて勝利し、幸いな人生を歩むことができます。私たちの行いすべてが御言葉を根拠とした生活になるように、そしてそれが神の栄光を表すものであるために、御言葉に留まり続けていきましょう。

2005年5月5日更新

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