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「収穫の働き人とは、この日を喜び大切にする。」

- 2005年5月22日 -

水野 明廣 牧師

箴言27:1

  私たちは、今、この日にしか生きられません。今日、明日を生きることは出来ません。今にしか生きることが出来ないんです。去年は良かったな、と言っても去年をもう一度生きることは出来ません。去年は良くなかったなといっても去年をやりなおすことは出来ないんです。ルカ12:20には、ある金持ちが「十分に財産があるから、明日から大丈夫だ。これから楽しもう。」と言ったら、神様は「愚か者。おまえのたましいは今夜おまえから取り去られる。」とおっしゃいました。私たちは「今」しか生きることが出来ないんです。ですから、どうぞ、今日、この日を大切にする、という神様の御言葉に注目しましょう。

神様はモーセに、エジプトへ行きイスラエルの人々を救い出しなさいと言われました。その時、モーセが神様にあなたの名は何ですかと聞きました。神様は「わたしはある。」(出エジプト記3:14)と・・・答えられました。変わった名前ですね。この天地万物を造られた創造主なる神様は、この方はいつも今だけを生きおられるんです。今という時間を永遠に持っていらっしゃいます。私たちは過去を持っています。私たちには過去があります。みなさん、良い過去でしたか?過去が懐かしくて過去に戻りたい、もしくは、嫌な過去を忘れたい・・・でしょうか。私たちは過去には帰れないんです。箴言27:1にはこう書いてあります。「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。」かといって、明日のための準備や明日の計画をするなという意味ではありません。私は将来の事一切準備していません。気にしていません。神様がそういう横着な事をしなさいとおっしゃっているんじゃないんです。

イエス様がある時に、この真理を教えるためにとんでもない事件をお使いになりました。「兄弟ラザロが死にかけていますから来てください。」とマルタとマリヤがイエス様に頼んだという話が、ヨハネの福音書11章に書かれています。このラザロのために姉妹たちは集まり、イエス様に使いを送って、「あなたが愛しておられる者が病気です。」と言いました。ところが、イエス様はすぐに来られなかったんです。そして、そうこうしてるうちにとうとうラザロは死んでしまいました。マルタとマリヤは泣いて泣いて彼を墓に葬りました。葬式が終わってから、終わってからですよ、イエス様がやって来たんです。マルタとマリヤは悲しみの中にいました。イエス様は癒され救われ、イエス様は何でも出来る、とマルタとマリヤは信じていたんです。イエス様は私達の主、救い主、私達の味方、私達を愛してくださると。
ここには大事な教訓があります。イエス様が皆さんを愛してくださるといって、皆さんの思い通りには働かれません。思い通りになるあなたの操り人形ではないんです。あなたの方が操り人形なのかもしれません。イエス様が“主”です。イエス様は神様です。私達を愛していらっしゃいます。素晴らしいお方です。昨日も今日も変わらないお方です。

でもこの出来事を通してある真理を教えたいのです。イエス様のわずかな期間の地上での教えは、私達の今の生活にとても必要な教えです。クリスチャン生活で大切な事は、今日を、今を恵みの時、救いの時として生きる、という事です。みなさんは、今、恵まれているんですよ。以前はどうかわかりませんが、聖書に書いてあります。今はみなさんはもう恵まれているんです。今この瞬間。5分前じゃないですよ。今が恵みの時です。明日になったらと言わないで下さい。今、恵まれているので賛美します、今、救われているからイエス様は救い主なのです。過去から教訓を得てください。過去から学んで下さい。でも、過去が何であっても過去に縛られないで下さい。マルタとマリヤは、彼女達が期待した時にイエス様は来られませんでした。もう手遅れになってしまったのです。どうして兄弟が病気だから助けてと言ったのに来て下さらなかったんですか?イエス様が来て下さったらこんな事にならなかったのに・・・こういうのを過去信仰というんです。みなさんそういうことを考えませんか?あの時イエス様がして下さったらと、これもまた正しいんです。
しかしイエス様はおっしゃいました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」信仰というのは、今、主が私と共におられるのだから大丈夫だ、と信頼することです。イエス様は私を信じ通しなさいとおっしゃいます。イエス様は洪水のように問題や悩みが押し寄せてくるという、私たちの現実を何もかもご存知です。問題がないから悩みがないから喜びなさいとおっしゃっているのではないんです。
パウロは、「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」と繰り返し牢獄から手紙を書いています。(ピリピ4:4)みなさんが悩みもない、問題もないから・・・ではないのです。どんな状況におかれても、主は私たちを恵んでくださっているから、今は、私達は主の恵みの中にいるのだから、今、私達は賛美するのです。そして、今、私達は人を赦すのです。明日ではなくて。明日になったら賛美しようではなくて、今、主を喜んでいたいと思います。

神の前で正しい人は問題がない、良いことをしていればわざわいはない、という浅い教えは通用しないでしょう。でも私たちは今、主にあって安らいでいます。「今、主に頼ります。今、私は主を愛します。今、私は妻を愛します。夫を愛します。子供を愛します。今、私は主のものです。」・・・これが豊かな人生を刈り取る生き方なんです。クリスチャン生活とは今を大事にする生活なんです。
この日を主がつくられました。今、私は主の恵みのもとにいる。今、私は救いのもとにいると自分に言い聞かせてください。しかし、あなたがその歩みをする中で、そうできたからといって他の人がそうしていないのを見てその人をさげすんだりは絶対にしないで下さい。泣くことしか出来ない時があるんです。今、私は恵まれている。今、私は主に愛されているという思いをしっかり持っていて下さい。でも現実にそう思えない時があるんです。自分が与えられた悟りを他の人に押し付けるのではなく、まず自分が主の恵みの中で生きてほしいと思います。私たちは知っています。イエス様もゲッセマネの園で一人激しく泣いて苦しんでいた事を。イエス様は人の嘆き悲しみをご存知でした。みなさんが主と共に今この恵みを喜び生きていく時に、豊かに実を成らすことができます。喜んでいると健康もついてきます。(箴言18:22)仕事のためにも家庭のためにも良いんです。それから喜ぶということや恵まれているということは、神にささげているという事、従う事です。御言葉にどう書いてあるでしょうか?どんな犠牲をささげることより御言葉の通りにすることが本来のクリスチャン生活なんです。神様は明日を誇らないようにとおっしゃいました。明日になったらもっと真剣に祈りますと言うのではなく、また、以前は真剣に祈ったのにと言うのではなくて、今、私は真剣に主に頼ります。主にすがります。そういう私たちになりますように。

2005年5月29日更新

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