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「収穫の働き人とは」

- 2005年6月5日 -

水野 明廣 牧師

箴言28:20

 カナダに行き、礼拝のメッセージをする機会が与えられました。そちらの教会では、私(水野牧師)が、40数年ぶりにお会いする方々もいらっしゃって、本当に恵まれた時をもちました。時間を超えて、その方々との楽しい交わりを持つことができました。その時に先回のメッセージの、「明日のことを誇るのではなく今を喜ぶことの大切さ」と、今日のメッセージの内容である「主に忠実であること」の大切さをとても強く感じました。

 私がカナダの神学校に行っているときに、私を支えて助けてくださったご夫婦がいらっしゃいました。実はそのご主人が、ガンでもう先があまり長くないということでした。しかし、その方はすっかり主に頼り、この先に行くべきところがはっきりわかっているという平安に満たされていました。私は、この地上ではもうその方に二度とお会いできないと思うと涙が出てきましたが、その方を見て、主に会う備えができているということは、本当に人生を豊かにするものだと思いました。私たちの人生は主が生かしていてくださるものです。その人生を一人一人が、一日一日を喜んで生きることは本当に大切なことなのだと思わされました。私たちは、イエス・キリストが十字架で私たちの身代わりに罪を背負ってくださったので、神と和解することができました。イエス・キリストは救い主だと信じるだけで救われて、天に入ることのできる権利を得るのです。イエス様に頼ることができ、帰るところがわかっているということは本当に平安です。クリスチャンでよかった、クリスチャンの人生は何て素晴らしいのだろうと思いました。
 マタイ25章にはイエス様が話されたタラントのたとえ話があります。そこでは、主人から各々に任されたタラントで収穫を得るしもべの話しですが、主人はしもべの忠実さをほめています。マタイ25:21では「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」また、ルカ12:42では、「主は言われた。『では、主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食べ物を与える忠実な思慮深い管理人とは、いったいだれでしょう。』」主は、人が主に対して忠実であるかどうかを見ておられます。
 カナダの教会では、40数年ぶりにあったピアニストの方もいらっしゃいました。テリーという名前ですが,40数年前は、まだ少年でした。彼は両親が離婚していて、町の人が彼を引き取り、育てました。両親が離婚したという家庭環境のせいか、ひねくれたところがありましたが、テリーは音楽が大好きで、そのころからピアノを弾いて、教会で奉仕をしていました。今回お会いしたときも教会でピアノの奉仕をされていました。牧師は、テリーのことを「この方は主に大変忠実な方です。たくさんのピアニストの方が今までもいましたが、一番、どんなときにも頼りになり、信頼して奉仕をお任せできる方です。」とおっしゃっていました。忠実な方は祝福を受けるのですね、テリーの子供や孫もみんな教会にともに集っていました。そして、子供さんはコンサートをするピアニストにもなっておられました。忠実であるということは継続することです。祈りつづける、愛しつづけることです。 人は継続しているうちに段々と手抜きになってしまうのです。しかし、忠実に事を行うならば、主は多くの祝福をくださるのです。しかし、忠実だからといっていいことばかりではありません。ヨセフも身に覚えの無い罪を着せられ、何年も牢獄に入れられました。しかし、どんな所でも彼は忠実であったので、ポティファルの家ではすべてを任され、また偽証で牢獄に入れられたあとも、看守長にも認められました。ずっとヨハネはいつでも主に対して忠実であったので、やがて彼は大国であるエジプトを飢饉から救い、治めるまでになりました。忠実であるということはとても大切なことなのです。

 先にお話しした、以前私を支えてくださったご夫婦も、何十年も宣教のために祈りつづけ、また農夫としてもこつこつと働き、そして多くの主の働きを支えてこられた、忠実な方です。この方と、そのご家族を見たとき、ああ、主に対して忠実な人は多くの祝福を得るというのは本当だなあと思いました。
 忠実(faithfull)、という言葉は英語で信仰(faith)がいっぱい(full)という意味があります。また、誠実や真実、正確という意味をすべて含んでいるのです。イエス・キリストのことを表した言葉があります。

●黙示録1:5「また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。」
●黙示録19:11「また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、『忠実また真実。』と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。」
●ヘブル3:2「モーセが神の家全体のために忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです。」

 イエス・キリストこそ、主に忠実であり、真実なお方です。人の目をひく華やかさより、主に対して忠実であることはどんなにか大切なことでしょう。農夫は、種をまいたら、草を抜きつづけ、水をやりつづけ、そして継続して太陽の光が必要になります。以前に草を抜いたことがあった・・・では植物は育ちません。良い収穫を得るためには、継続してそれらを行う必要があるのです。私たちも、主の前に良い働き人として収穫をえるために、主の御言葉に忠実に生きていきましょう。

 

2005年6月11日更新

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