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「神の働き人は〜神の働きに必要な二つの鍵」

- 2005年6月12日 -

水野 明廣 牧師

箴言29:18

 幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。     


イエス様は私達が、無用な痛みや、苦しみや、呪いを受けないためにも十字架でいのちを捧げられました。私達が本来、神の子供として生きて恵まれていくため、最高の手立てをとってくださった、これが贖いであり福音です。

 今日は、神様がくださった私たちの人生を素晴らしく生きるために、二つの鍵をお分かちします。
1.神様からの幻を持って生きること
2.神様の御言葉によって生きること、です。

 幻を、夢を、目標を持つことは大切です。「幻がなければ民はほしいままに振舞う。」「幻のない民は滅びる。」この二つは同じ意味です。
 旧約聖書の中に「その頃、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」(士師記21:25)と言う時代があったことが記されています。これこそが滅びの道です。

 主の御言葉に従う人生は幸せだとあります。人間が主の御言葉に従って生きるときは安全ですが、そこからはずれると、問題の中に入り込み人々をも巻き込んでしまいます。
 出エジプト15:26に「もしあなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたを癒す者である。」とあります。人間の災い問題は、多くの場合“神の道”を無視した結果であることがあります。
 
●「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。(ヨエル2:28)

夢や幻はとても大切です。パウロはコリントへの手紙の中で、「・・私は決勝点がどこか分からないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしていません。」と書いています。人は目標を持たなければいけません。目標がなければいったい人はどこに向かって、何のために生きているのかわからないではありませんか。
 アブラハムとその家族は、「信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白し、地上の故郷に勝る、天の故郷にあこがれていたのです。それ故、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。」 特に信仰の父と言われたアブラハムは、周りの人々から、「あなたには、いつも神がついておられる。」と言われ神の司、神の使いとして尊敬されました。しっかり上を見上げて生きる人は、神の御言葉を大切にします。   

福音のために様々な迫害、苦しみを受け、犯罪者のように獄につながれていた時でさえ、パウロはこう言っています。「…ただこの一事に励んでいます。すなわち、後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標目指して一心に走っているのです。」ピリピ3:13〜14と。また、モーセもエジプトの王の跡継ぎになれたにもかかわらずそれを捨て、この世の富に勝る、天にある栄光を求めたのです。

 もし私達が、はっきりした良い目標を持っていないならその人生はふらつきます。しかし、良い目標があったとしても自分でそこに達することは出来ないのです。それはただ主の恵みによってなるのです。私たちはどこに向かって生きていこうとしているのかを知ることは大切なことです。どのように立派な働きをしたかではなく、天にあなたの名が記されていること、あなたの国籍は天にあることを知り喜ぶべきです。あなたは主のもの、主に愛されているのです。主に属するものとして生きてほしいのです。
 
1964〜1965年にかけてあったことですが、私がエストン神学校在学中、ある日、突然聖霊様が学校に臨まれたのです。授業はできなくなり、食事も忘れチャペルから誰も出て行かない、そして皆、泣いて罪の悔い改めをし、和解をしたのです。それは一日だけでなく一週間続いたのです。教会に行きましたらそこにも聖霊様が臨まれていて、毎日人々が集まって罪の悔い改め、友人同士、家族、夫婦が許しあい愛し合っている姿をみて確かに神が働いておられると、知りました。生きて働いておられる神様に触れられて変えられていく人々を目の当たりにして、その素晴らしい感動の有様を私は忘れることができないのです。このことが私の献身の励ましになりました。日本でも神様は同じように働いてくださる、私の両親、私の家族に伝えたい、そういう強い思いを与えられ日本に帰って来たのです。学校に突然聖霊様が臨まれたとき、神様は幻を見せてくださいました。すべての人が聖霊様に満たされて喜んで主のご用をしている姿でした。皆が神様の恵みを分かち合い、沢山の人々が解放され、沢山の人が神の愛に感動している姿でした。これは私の思いではなく、神様の願いなのです。
 神様が皆さんを救われたのは皆さんを用いたくて、用いたくてたまらないのです。皆さんがもっともっと飢え渇いて求めるならば主は皆さんにももっと強烈に夢を与え幻を見せてくださいます。

 イエス様もあの筆舌に尽くしがたい苦しみの十字架に耐えることが出来たのは「ご自分の前に置かれた喜びのゆえにはずかしめをものともせずに、十字架をしのび、神のみ座の右に着座されました。」へブル12:26 と有りますように後にある大きな喜びのためだったのです。世界中の何億という人々が、イエス様によって救われて喜んでいる姿をご覧になったのです。
 黙示録を書いたヨハネは、幻で神の子羊イエス・キリストとすべてのクリスチャンの結婚式を見たのです。だからキリストは十字架を耐えることが出来たと聖書に書いてあります。
 
イエス様は今も祈っていてくださっています。「わたしを信じる者が愛し合いますように、彼らが一つとなりますように 」(ヨハネ17:11)と兄弟姉妹あなたがたも祈ってください、私達がもっと愛し合えますように、自分のほうから許しあえますようにと。主の御言葉に幻をもつものは生きていくのです。人の悪口を言ってはいけないと書いてあれば悪口を言わないのです。人の事で腹を立てたままでいてはいけない、いつまでも、怒ったままでいてはいけない。腹を立てたまま寝てはいけない、とあります。私たちのために主は言われたのです。
私たちは御言葉を完全に守る事は出来ません。だから主に叫んでください、求めてください。ダビデも叫び祈りいつも天を仰ぎ見ていました。皆さんが本当に上にあるものを常に求め主の道を歩まれれば、私たちの思いをはるかに超えて、良い物を備えてくださいます。どうぞ皆さんが神の幻を持って、御言葉によって生きていかれますように心からお勧めします。

2005年6月18日更新

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