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「真実に生きる」

- 2005年7月10日 -

藤林 イザヤ 師             
 
使徒5:1-11

  今日の御言葉の個所はアナニアとサッピラの話です。夫婦そろって神を欺いたために死を迎えたという出来事が書いてあります。使徒行伝に「教会」という言葉が出てきたのは、今日の御言葉の個所が初めてでした。それほどまでに、教会にとって忘れることができないほどインパクトのある出来事だったのです。

●使徒5:11「そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。」

神に対して捧げ物をすることはとても素晴らしいことです。しかしここで問題だったのは、神を欺いたことでした。神を欺いた瞬間に霊は死に、肉体もまた息絶えたのです。正しいことをしているようで、いつしかどうして偽りが忍び込んでしまったのでしょう。神を見ずに、人を見てしまったからです。神を欺くことは恐ろしいことです。そして、神の前に真実な生き方をすることはとても大事なことなのです。
私たちの歩みはどうでしょうか。私たちの日々の歩みが私たちの生き方を決めています。主に心を向けて御言葉に一致して日々歩むならば、私たちの内なる霊は力あるものとなります。しかし、神の前に真実に生きるということは、すべてを主の前にさらけ出して、それでも尚、主の御前を歩もうとすることであり、単なる奇麗事ではありません。神は私たちの内なる気持ちをすべてご存知なのです。

真実に生きることは、罪を犯さない生き方をすることと同じではありません。罪を犯さないことは非常に重要なことです。しかし、罪を犯しさえしなければいい、というのは、キリスト者として生きることではありません。私たちは神の栄光を表すものとして命を受けました。主の栄光を表し、全く主を喜んで生きることを主は望んでおられます。主の御前に、主を喜んでのびやかに生きることは大事なことではないでしょうか。それは、神と人とを愛する生き方です。「偽らないようにしよう。」として生きようとすると、いつしか自分だけを守ろうとする罠にはまり、神の命である御霊の息絶えた生き方になってしまわないでしょうか。そうではなく、「真実に生きる。」時に、私たちは御霊の命を頂き、神と人とを愛する生き方ができます。アナニヤとサッピラは、神を欺きそして、人を見ました。そして、自分自身を愛する思いで満ちていました。見るべきお方を見なかった。そして、誘惑の罠にはまってしまったのです。

神からの一番重要な戒めはなんでしょうか。神を愛することです。その次に大事なことは隣人を自分と同じように愛することです。この愛はイエス・キリストから来ました。私たちが神を愛する以前から神が私たちを愛してくださったのです。私たちの罪のため、私たちは神から遠く離れたものでしたが、イエス・キリストが私たちのすべての罪を背負って十字架に架かられました。その流された血によって、私たちは神の前にもう罪のないものとされたのです。私たちと神の間には何の隔たりもなくなりました。神の愛を充分に受け取ることができるのです。その愛によって私たちは生かされ、また人を愛することができるのです。神を愛し、人を自分と同じように愛そうとする歩みの中にいるならば、偽りの罠は遠く逃げ去ります。神の前に真実に歩むことは、神を愛し、人を愛する生き方をすることです。

しかし、私たちの人生には、時として思いもよらないような事が起こります。私自身(藤林牧師)もそのような経験をしてきました。私は牧師家庭に育ちました。そして、献身し、教会を任されることになりました。しかし、任された教会は自分が育った教会ではなく、新しい教会でした。私はずっと自分の親元の教会から出たことはありませんでしたし、長男なので、当然親の教会を継ぐものだと思っていたのですが、役員方からの助言により、新しい教会を任されたのです。私の気持ちとしては、追い出されたような気持ちでした。なぜ?という気持ちと、怒りで満ちていました。そのような中で私自身の教会形成は始まったのです。当然私は、神に対してどうしてですか?と問う日々が始まりました。今思えば献身の思いも薄かったし、数年して教会形成がうまく行かなければ牧師を辞めようという思いもありました。そのような中で、色々なことが当然ありました。私は主によりすがり、主からの強い確信、真実な答えを求めて叫ぶ祈りの日々が始まりました。決して楽な日々ではありませんでしたが、主は誠に真実なお方でした。祈りに答えてくださったのです。私たちが誠実に真剣に主の御前を歩む時、主の恵みも又充分に頂くことができるのです。
日々神の御前で真実の自分をさらけ出し、誠実に歩むならば、神を欺く罠は遠ざかります。聖霊の力を頂き、神と人を愛する思いで満たされます。この一週間、神と人との前で、真実に生きる生き方を選び取りましょう。その時に私たちは神の恵みを頂き、喜びに満たされ、主の栄光を表す生き方をすることができるのです。

2005年7月15日更新

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