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「神が喜ばれる花嫁、教会のために」

- 2005年7月24日 -

水野 明廣 牧師

箴言31:10

 今日は、花嫁についてのお話です。ある人は、こんな奥さんだったらいいのにと、御言葉を自分に当てはめないで奥さんだけに当てはめるという人がいますが、これはやってはいけない事です。御言葉を全部自分に当てはめて下さい。Uテモテ3:16には、「聖書はすべて神の霊感によるものである」という事が書かれています。聖書は私達の有益のため、私のために書かれています。ですからこの御言葉は奥さんだけとか、この御言葉は子供だけという狭い考えはまず置いておいて下さい。

今朝は、主がこの御言葉から何を語って下さるんだろうかと受けとめて、皆さんと一緒に学びたいと思います。主に喜ばれる妻、花嫁という題で、箴言31:10〜12を読みましょう。

“しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。夫の心は彼女を信頼し、彼は「収益」に欠けることがない。” 

●エペソ5:25 “夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。”

とあります。この御言葉はクリスチャンライフでの結婚式によく使う御言葉です。なかなかこれを実行できている夫はいないかもしれません。そんな夫がいたら世界は平和になるでしょう。イエス・キリストは教会が欲しかったんです。教会のために死なれました。キリストは花嫁が欲しいと思っていらっしゃるんです。
新約聖書の中でよく婚姻とか結婚という言葉が使われています。イエス様が再び来られる時のために備えるためです。イエス様の行われた最初の奇跡はどこでされましたか?結婚式でしたね。御言葉の一番最後においても、黙示録19章には、小羊の婚姻の時が来た。とあります。誰が相手ですか?私達です。私・・・なんですよ。
皆さん雅歌を読んでいて感動しますか?私、雅歌を読んで泣いちゃうんです。ものすごいロマンチックな男だなと。“私はあなたを恋い慕う”という御言葉が、イエス様が私におっしゃって下さってると思ったんです。イエス様はこの私達一人一人を見て、決していい加減に取り扱っておられないんです。イザヤ書にあるように私達を本当に尊いものとして愛してくださっているんです。雅歌7:10には“私は、私の愛する方のもの。あの方は私を恋い慕う。” “あの方は私を恋い慕う。”というところは間違いないんです。
でも“私は、私の愛する方のもの。”というこの部分を皆さんに今日お話したいんです。皆さん、クリスチャン生活とは、はじめは、私のためのイエス様なんです。私のための救い主。私のための癒し。私のための恵み。でも、そこからクリスチャンライフは進んで行って、主のための私。これを成長と言います。主は私の主です。けれどもそれ以上に私は主のものなんです。パウロはクリスチャンに向かって語りました。“私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。”(Uコリント11:2)

 クリスチャンとはキリストのものとなることです。キリストの花嫁となることです。皆さんはキリストの花嫁となるようにささげられているんです。毎日の生活の中で、私は妻に要求する事がたくさんあります。ああして欲しいこうして欲しいといろいろ願うんです。でもそういうとき祈っているうちに、あっ イエス様が、私に要求しているんだ。イエス様は私にそれを願っているんだと。箴言31:11を読みますとしっかりした花嫁がどのように表現されているかわかりますね。彼は妻を信頼しています。では、私はイエス様から信頼されているんだろうか? ダビデは人々に非難されたり裏切られたりののしられたりつらい経験をします。そんな苦しみを経験しながらダビデは詩篇31:14で“しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」”とうたっています。
皆さんが誰かから何かを言われたり、何かとんでもない予期しないようなひどい事をされたりしたらどうしますか?私は、ある人に「あんな事を言われたのでもう教会に行きません。神様を信じられなくなりました。」・・・こんなことを私は聞かされたことがあります。でもこのダビデはつらいことを経験しながらも、しかし、主よ私は告白します。あなたこそ私の神です。と言いました。私達が悲しみや痛みを超えて、なお、主を信頼し、あがめていく時に、神からの信頼が強くなっていきます。詩篇71:14でもダビデはうたっています。“しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。”ダビデは神の御心にかなう者でした。神はそんな花嫁が欲しいんです。イエス様は私達を見つめながら、皆さんの才能が欲しくて、どこかに才能のある人いないかなあとそんな花嫁をさがしているんではないんです。
神様が欲しいのは、きよい、しみもしわもない心を持つ花嫁です。神は聖なるお方です。きよさを求めておられます。「もっと主よきよくなりたいんです。」と私達が願えば願うほど主が私達を信頼されます。主はそんな私達を欲しいんです。イエス様に夢中になる人を。主のものとなりたい、きよめてくださいとしきりに求めていくならば。クリスチャンライフという教会は、また、皆さんお一人一人は、主に信頼されます。主の誉れを勝ち取られます。皆さんが本当のキリストの花嫁をめざしていかれるように、クリスチャンライフがそんな教会であるように心から願っています。
しっかりした、キリストから信頼される。キリストに喜ばれる花嫁をめざしていこうではありませんか。主は私達と一緒に働こうとおっしゃいます。主は私達と一緒に主の業を主の栄光を見せてくださると信じます。

愛してくださるイエス様、イエス様が私のために、教会のために死んで下さいました。いのちまでも与えて下さいました。あなたの願われる教会、花嫁、これが私の願いです。あなたのものになりきらせて下さい。私の言葉や私の思いや私の振る舞いが主のものとなりますように。聖霊様、助けてください。御霊と御言葉に生きることができますように。イエス様の御名によってお願いします。アーメン

2005年7月30日更新

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