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「主を中心にした交わりを保つ」

- 2005年8月28日 -

水野 明廣 牧師

伝道者の書4:12

今日は、主を中心した交わりについてのお話なんですが、それは、私達クリスチャンが良い収穫を得てそれを楽しむためです。人生に神様が素晴らしい計画をもっておられます。
金曜日にレディースランチョンがあったんですが、おかげで私は親戚と参加することができました。その方は関心をもって下さって、涙を流しておられました。そのような機会を下さって、働きのために皆さんは苦労されたと思います。このようにクリスチャンが一緒に何かをやるという事は決して簡単な事ではありません。
私達はイエス様によりますと、誰でも「神の家族」なんです。天国に行っても会えます。永遠の命を持ってるんです。ところが私達は「神の家族」という事だけではなく、何と「キリストにある一つのからだ」であると聖書に書いてあるんです。ですから、主の愛される兄弟姉妹が苦しいと私達もつらいんです。夫婦でも奥さんが喜んでいると夫も嬉しいんです。どちらかが気分が悪いとか疲れていたりするとこちらもそう感じるんです。そういう関係なんです。親子でもそうです。「えーっ、この人と一つのからだ?」と今、思っても遅すぎます。伝道者の書4:12をごらんください。“もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単に切れない。”この御言葉はよく結婚式の時にメッセージの中で語られますが、夫婦に対してだけではなくて、三つ撚りの糸とは、神様を中心としたクリスチャンの交わりを表しています。
私達はお互い赤の他人でした。遠い関係です。でもイエス様から見て私達は家族で、一つのからだなんです。ある方が具合が悪いと聞くと、聞いただけで終わらなくて、私達は近い存在になっているので、感じるんです。聖霊様が働いて下さると、言われなくても見えることがあるんです。神様の御霊は、私達が一致する時に凄く働かれるんです。
ですから、クリスチャンが一致することを嫌うのは、悪い霊です。私達は一つのからだです、と言わなくて、あの人がこんな事をしたあんな事をしたと訴えお互いの足を引っ張ったりするんです。でも皆さん、一人というのは寂しいですよ。私は釣りが好きなんですが、どんな大きな魚を釣っても一人だったら寂しいです。美味しいご馳走を食べるのも一人よりも皆と一緒の方が楽しいんです。山に登って美しい景色を見る時、一人で神様とだけ喜んでいる人はかなり霊的な人・・・です。

神様と私だけの関係は、クリスチャン生活にとても大切です。でも、神様と私の関係が本当に健全かどうかは、私と兄弟姉妹との関係で分かるんです。私と妻との関係で分かるんです。全ての人に対して平安な心を持っているようにと聖書を通して教えておられます。イエス様は、「兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。」と人々に教えました。エペソ4:26には“怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。”とあります。そして32節には“神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。”と書いてあります。私達が誰かに対し怒りを持ったままでいるという事は、地雷が埋まっているようなものです。いつか怒りが爆発してしまうんです。そしてもっと凄いことが書かれています。”‥‥『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、供え物をささげなさい。(マタイ5:22〜25)
 今日、礼拝に来られた皆さん恨まれてなかったでしょうか?大丈夫ですか?恨まれてると思ったら和解して下さい。神様を愛するなら兄弟姉妹を愛して下さい。サタンはわたし達が一致することを嫌います。マタイ18:20には“ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。”とあります。19節には、“まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。“心を合わせる事は簡単ではありません。でも一致する所には凄い力があります。兄弟姉妹が一致している所には、神様がそこに祝福を命じます。(詩篇133章) 夫婦でも家族でもそうです。皆さん一致して祈って下さい。神様の御手が動きます。私達が良い収穫を得るためには、集まって一致して行く方向へ向かっていく事が大切である事を皆さんに分かち合います。それは

●私達が守られて、成長するため。‥‥小さな鳥は群れをなして飛びます。それは自分を守るためです。私たちは一緒に何かをやろうとする時に、生い立ちも立場も年も好みもあらゆることが違います。だから違いにこだわり始めるとだんだん私達は離れてしまいます。私達は意見の違いもあります。違いだけでなくぶつかり合います。ぶつかり合いだけでなく、気をつけないと怒りが来てしまいます。傷つけ合ってしまいます。よく祈っていきますと私達は集いの中を通して、本当に謙遜なのかどうか分かってくるんです。本当にキリストの愛で生きているのかどうか見えてくるんです。皆さんに率直な質問をします。皆さんどうして天国に行けるって分かっているんですか?本当に行けますか?
Tヨハネ3:14にこうあります。“私達は、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。”いのちまで捨ててわたし達を愛して下さったイエス様はわたし達に、互いに愛し合いなさい。とおっしゃいました。そうすれば私達がキリストの弟子である事がわかります。愛は赦しです。愛は受け入れる事です。「主よ、こんな見方しかできない私を、こんな受け取り方しかできない私を変えてください。」と私たちが祈りとどまるなら成長します。箴言18:1には、“おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた知性と仲たがいする。”と書いてあります。教会にいろんな交わりがあります。皆さんそのような交わりを軽く考えないで下さい。その中にいる時私たちは成長するんです。私たちが信仰の家族の中、交わりをし、そこに植えられているという事は、私達の守りのため成長のためなんです。私たちはお互いぶつかり合って砕かれます。そしてお互いを感謝するようになります。

●私達が豊かな実を刈り取るため。そして、それを楽しむため。‥‥皆さんの人生のマイナス面、人生のつらさ、悲しさを全部、主を愛する方に、主の御言葉に皆さんが合わせていく時いやされます。それらは全部主の御手の中で収穫のために変えられます。用いられます。それは、一人ではできないんです。皆が共に主のために働くんです。お互いが必要なんです。イエス様は弟子達を二人とかグループで遣わしました。

●イエス様が栄光を受けるため。‥‥“見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行なう。どうしてわたしの名が汚されてよかろうか。わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。(イザヤ48:10、11)‥‥皆さんぜひ主を中心とした交わりを持ってください。そうする事によって成長します。私達がキリストの似姿に変えられるという事は現実的な事です。兄弟姉妹との関係、どうぞ腹が立ってもそのままにせずに、感情がついて行かないこともあります。でもイエス様の御名によって赦しますと祈って下さい。祝福する人になってください。

イエス様と私達の関係、と同時にクリスチャン同士の関係が主に喜ばれる関係でありますように。

2005年9月4日更新

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