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「 あきらめないで主の良い業を続ける」

- 2005年9月18日 -

水野 明廣 牧師

伝道者の書11:1

私たちは神様の一方的な恵みで救われ、神の子となりました。神の子となった私たちは天国に行くだけのためにクリスチャンになったのではありません。主は私たちが主の働きを担って豊かな実を結ぶ人生を送ってほしいと願っておられます。今日はそのための一つの指針として伝道の書11章1節を学びます。

●あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。(伝道者の書 11:1)

パンは私たちが生きるための生活の糧です。象徴的に言うなら私たちを支える神の恵み、祝福、また財産であり、よりどころとなるものです。このような自分の大切なパンを水の上に投げよ、と教えています。

水の上に投げよとは、
 @ 与えてしまっても気にしない、こだわらない
 A 報いを期待しない
 B 意味のない、無駄なことに思える などの意味があります。

私たちの命を守る自分自身の大切なものを、報われるかどうか分からなくても与えること、これが命の実を刈り取る人にとって必要な包括の部分です。私たちはすぐに良い結果を求められる社会に生きています。しかし自分のパンを水の上に投げてもすぐに結果が出るのではなく、ずっと後になってそれを見出すのです。具体的には貧しい人々を助ける働き、例えばハートフォーザワールドやブリッジフォーピースなどの働きなどがあります。自分自身の生活のために必要なものを削って、困っている人々に与えても直接、感謝の言葉を聴くこともなくすぐ結果を見ることもないかもしれない、水に流してしまうような働きかもしれません。しかし、

●「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。」(ガラテヤ 6:9-10)

どうかできる限り続けてください。イエス様はご自分の命を捧げられました。イエス様の十字架の苦しみは、報いを期待してのものではありません。人々には無駄な死に思われたかもしれません。しかし、イエス様はずっと後に私たちが救われるのを見ておられました(参考 ヘブル 12:2)。
約400年前、フロイスという宣教師が「私は日本人ほどキリストの信仰に熱く燃えた国民は知らない。」と記録しています。彼の持っているデータだけでも当時の日本には約87万人のクリスチャンがいて、すばらしい働きがあり、また数多くの人々が殉教しました。彼らの命は水の上に流されました。その名前も知られていません。しかしずっと後になって私たちが救われたのです。こういう国に私たちが生きていることを忘れないでください。
私たちも惜しみなく自分のパンを与え続けたいと思います。すぐには報われなくとも、主は覚えておられ、ずっと後になってそれを見いだします。イエス様は私たちに命まで与えてくださいました。そのお方が、「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(参考 マタイ 25:40)」私たちが良い収穫の実を刈り取るためにも、聖霊様の助けによって良い種蒔きをし続けていきましょう。

2005年9月19日更新

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