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「 教会の一致」

- 2005年9月25日 -

神戸 京子 牧師

詩篇 133:1-3

 「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」

 この状況は今の私たちの状況です。わたし達は主を父と呼びます。そしてわたし達は神の子供として、お互いを兄弟姉妹と呼ぶわけですね。そしてその兄弟姉妹が一つになって主を礼拝する。なんというしあわせ、なんという楽しさであろうとダビデは歌っています。ところでみなさん今日ここで兄弟姉妹が一つのところにいて主を礼拝しているわけですけれども、なんというしあわせなんという楽しさであろうと味わっておられるでしょうか?幸いですね。わたし達はついつい目に見えるところで判断しますね。しかし主はわたし達がどうであろうと主を見上げて主だけを見るように言われたんですね。ですから主以外にわたし達が何ものにも思いとその目を奪われてはならない。まず、主の宮に集まった時に、この機会を持つときに主のみもとに全てをおこう、主を礼拝して行こう、主の油注ぎと御言葉をしっかり受けとめて行こう、そのようにわたし達が主の前に出て行くときにわたし達は本当にしあわせ、本当に楽しい・・・・と思うんですね。

 私達はたまたまここにいるのではなく、思いが集まって一つになるのです。皆がばらばらではないのです。日本の社会の中で家庭が随分壊れてきました。社会が、子供達が荒れています。様々な問題があります。それはまず家庭の崩壊、そこから始まっています。どんなに貧しくても家庭の和が保たれている時は喜びがあり幸せがあります。どんなに物が満たされていても家庭がばらばらのところは嘆きがあり悲しみがあり苦しみがあります。わたし達が集まるときに自分の問題、自分の判断、価値基準を全て置いて主を見上げて行くときに、ここにしあわせがありここに楽しさがあるわけです。そしてそれだけではないんです。「それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。」

 みなさん、油注ぎを求めておられますよね。わたし達が一つ所に集まって一つとなってその所に主が油を注いでくださる。という約束です。わたし達を神の子供として聖別して下さる。アロンの油注ぎは聖別の油注ぎなんです。それは僅かなものではなくて衣のえりにまで流れしたたるんです。本当に豊かな油注ぎです。わたし達がここで一つになる事によってこの御言葉を受けられるのであれば、どうしてそれを先に延ばす事ができるでしょうか、ここにわたし達が集まって一つになって主を礼拝するところに主が油を注いで下さいます。主の一致。これは本当に素晴らしいことです。私達の主は勝利と祝福に満ち満ちておられます。
世の中にも一致のある所に勝利がありますね。スポーツを見ていてもどんなに力量があってもチームワークで勝敗が決まってしまう事があります。ある時、飛行機事故について専門家にこんな質問をしているのを聞きました。飛行機事故を防ぐためにはどんな事が必要ですか?という質問に対しての答えは意外でした。それは「コックピットのクルーの一致」です。彼らの一致があれば大きな事故は防げます。‥‥一致って素晴らしいと思いました。教会が一つとなってキリストのからだとして建て上げられる。みんな違います。様々です。主がご計画をもって集められました。そこに主は油注ぎを与えてくださる。さらに、「それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」

 随分前にテレビでヘルモン山が映し出されるのをみました。それはすさまじい、とどろきのような水の流れです。まわりには緑があって花が咲いていました。豊かな命の流れ。これが私達のただ中に注がれます。もっと満たされたいと求めます。そして自分だけでなく自分を通して他の人々に流す者になりたい。その事を願っておられますか?わたし達はこの中にあって一つとなって主に仕える。主がその祝福を下さる。それだけではありません。とこしえのいのちの祝福を命じられた。とあります。とこしえにもう失うことがない。兄弟姉妹が一緒の所に集まります。みんな違います。私達の人に対する判断、価値基準がなんと違う事かと思わされます。わたし達が神様の思いを持つ時にさらに勝利します。自分達の力では難しくても主が勝利を願っておられる。主がわたし達に願っておられるなら、わたし達が願いを持って進めば、私達のうちに悟す力、力を与えてくださいます。感情はどうであろうと主がそうさせてくださる。そして聖書はわたし達に一つになるようにと語っています。

 主よ本当にこの兄弟姉妹と一つにならせて下さいという願いを持とうではありませんか。ここにいのちが流し込まれ、油注ぎがある時に、ここから自分の家庭へ、会社へ、学校へ、地域へ、このいのちを流す者となるように求めて行こうではありませんか。主がそのように約束して下さっているので私が感じようと感じまいと、主は真実なお方。主は成して下さるという信仰を持って、私たちが遣わされて行きたいと思います。今日から新たな気持ちで主に仕えていきましょう。ローマ15:1〜6には、「心を合わせること、思いを合わせる事」が書かれています。力のある者が力のない者の弱さを担う。私たちは互いに担い合い、徳を高めていく、建てられていく。徳を高める事、それは建てる事です。

 壊す事は簡単です。悪に悪をもって返していく、怒りに向かって怒りで答えていく、簡単です。でも主が建てるときに建て上げられていきます。それは父なる神様がほめたたえられるためです。私たちが一つとなって心合わせていく中、主の栄光があらわされていく。民が一つの所で一つ心で祈っていた時、彼らは聖霊に満たされた。そして神からの力が与えられた。主の素晴らしい御業がしるしが成されたという記録が聖書にあります。(使徒1章2章) 聖霊様が下って豊かないのちが流れ込まれたんです。それは過去のことではありません。主はまさに私たちのただ中に成して下さいます。求めて行きましょう。そして私たちが通り良き管として、ここだけでここで礼拝して帰って終わりではなく、流す者として私たちを通して人々がいやされ解放されていく事を主は願っておられます。

 水野牧師がよく言っておられますが、クリスチャンライフは、愛に生きる教会、御霊に満たされる教会、全ての人が生かされ用いられる教会であありたいのです。一人一人が主に間に合う器なんです。主は全ての人が大切です。もし問題が見えたとしたならば、そのところにあなたが必要なんです。そしてクリスチャンライフにもし問題があるのならば、ここにあなたが必要なんです。あなたの祈りが必要であり、時にはあなたの奉仕が必要でしょう。そのところに主は招いておられます。私たちのうちに来て下さいと求めて行きましょう。クリスチャンライフは、ここにおられる一人一人です。教会は、自分自身である。とおぼえて頂きたいと思います。

2005年10月1日更新

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