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「大切な信仰体験」

- 2005年10月16日 -

講師 水野 明廣 牧師

イザヤ6:1-8

 今日は、信仰体験の大切さについて語ります。私たちが知性的に聖書の教えに賛同して信仰を持つということも大切ですが、信仰が理屈だけで終わってしまってはなりません。それ以上に体験的に神を本当に知る必要があります。イザヤが預言者として最も長く活躍できた理由は、彼が強烈な信仰体験を持っていたことにあります。
イザヤの生活を支え、守ってくれたウジヤ王が死んだ時、彼は神の宮で「主を見た。」と言っています。(参考イザヤ6:1)“見る”という言葉は“知った”、“分かった”という意味があります。生活の支えを失って初めて、本当に自分を支えているのは天の御座に座しておられる神であることを知り、神の御前にへりくだった時、幻を見て、まさに神に会う体験をしました。ヨブも数々の試練を通して「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今この目であなたを見ました。」(ヨブ42:5)と言っています。ヤコブもまた、今まで自分を守ってくれた両親の元を離れ、兄から命を狙われ逃げていく時、夢を見、神の御声を聞くと言う、神に出会う体験をしました。(参考 創世記28:12-15)ヨハネはパトモス島に流され、そこで栄光の主を見、すばらしい啓示を受けました。(参考 黙示1:12-20)このように神の人たちは信仰が理屈だけで終わらず、主に会う体験を持っています。頭で分かっているのと啓示によって知ることは違うのです。パウロはまた、「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、」(エペソ1:18)と祈っています。体験を求めるようにとは言いませんが、主ご自身を求め続けるなら、主は恵みによって主に本当に会う体験を与えてくださいます。私たちは生きるために必要なものが色々あります。しかし本当にに必要なのは主を知ることです。主を知らないために外見は豊かに見えても、つまらないものに捕らえられ、その魂は飢え干からびている人々が多いのです。(参考 イザヤ5:13)人間にとって神を知らないことは最大の損失です。何よりもまず神を知ることを求めましょう。そうすれば人生に必要なものは追いかけてくるのです。

●私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」(ホセア6:3)

 この世でどんなに財を築き地位を得ても神を知らないなら全てが滅びてしまいます。パウロは「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」(ピリピ3:8)と告白しています。

 私たちは生涯をかけて主を知ることを求め続けていきましょう。神はえこひいきなさいません。飢え渇いて主を求める人に会ってくださいます。

●もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。(エレミヤ 29:13)

 と約束されました。聖霊の恵みは渇いたところに注がれます。ますます主を求めていきましょう。本当の意味で主を知ることができるよう聖霊様に助けを求めましょう。私たちが主に出会い、主のすばらしさに圧倒されて主のみ前に身を投げ出して、ひたすら主をあがめる。こんな礼拝をしていけるようにと祈ります。

2005年10月22日更新

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