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「王位を受けて帰るため」

- 2005年10月23日 -

講師 大矢 頭 牧師

ルカ19:11-27

 物騒な言葉が出てきますね。主人が、商売をしなさいという言葉で始まって最後は殺してしまえとあります。絶対に教会で聞く事がない言葉ですね。皆さん嫌でしょう。商売しなさいと言われて商売させられる教会は嫌でしょう。また、殺してしまえとか言われるような教会なんて嫌です。誰も来たくありません。しかし、神様はそんな事をこの箇所で言いたいんではないのはもう皆さんよくお分かりだと思います。
この箇所は、イエス様が十字架にかかられた後、よみがえり、復活され天に昇られ、今、天の御座に着いておられるんです。そして、王になられたんです。しかし、それで終わりではなく、イエス様は王位を受けてもう一度私たちのところに帰ってこられることを示しています。
イエス様は十字架にかかって勝利された。御座についておられる。ハレルヤ‥‥で終わりではなくてまだ途中なんです。私たちが人生の途中であるように信仰生活も途中なんです。ここから完成に向かってずーっと続いていくわけですね。イエス様は、いつ帰ろうかと待っておられると思いますよ。いつ帰って来られるんでしょうか?楽しみですね。私たちは天に昇られたイエス様を待っています。皆さんどうでしょう。例えば大事な方がどこかに行かれて戻ってこられるまで待つということは楽しみですね。わくわくします。イエス様はそんな状況に私たちを置いています。

 イエス様が天に昇られて、神様が私たちに委ねていったものがあります。何かと言うと、このたとえ話の中では、「ミナ」というものです。この話には、ミナというのはお金ですね。10ミナを用意して10人のしもべを呼んできて、一人1ミナずつ平等にあげて委ねていきました。それで商売をしなさいと。その間に王になるために遠くに行くといって委ねました。よく似た例え話しがマタイの福音書に「タラント」という言葉で出てきます。タラントとミナの違いはケタが違います。1タラントは6千万円、7千万円です。話の中に5タラントをもらった人がいます。3億円です。1ミナはいくらぐらいでしょう。大体100万円です。タラントは能力に応じて莫大な金額を託しますけど、ミナの場合は違います。皆に等しく託しました。ストーリー展開は同じですが全く意味が違うんです。タラントは能力に応じて、人と比べるのではなく忠実である事を語っています。ミナの場合は、イエス様が天から帰ってくる待っている間のたとえです。皆さんが該当するんです。12節に「遠い国に行った」とあります。いつ帰ってくるかもわからない人を待っているんです。そして主人は10ミナを与えました。皆さん一人一人にイエス様は何かを残して行きました。14節には”しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、「この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません。」と言った。”とあります。王様になってほしくないという人というのは、その他大勢の人々なんです。まわりが皆敵です。こんな状況の中で主人はしもべたちに商売をしろといったんです。
先ほどの3億円でだったら事業できますけど、100万円で事業をして下さいと言われたら始める勇気ありますか?事務所でも借りたらすぐなくなってしまいますね。しかも周りを見たら全員敵なんです。反対してる主人のしもべの商品を買ってくれるでしょうか?はじめから成功しない商売を任されている、絶対勝ち目のない成功するあてもない、こんな状況の中で、神様、これが何になりますか?という状況で、神様は私の使命を全うしなさいとおっしゃいます。全ての人にです。

 では、しもべたちはどうしたんでしょうか。ある人は、100万円が1千万円になりました。よくやった。良いしもべだ。と褒められていますね。100万円が500万円になりました。という人には5つの町を治めなさい。と言われました。もう一人とんでもない人がいました。その100万円しまっておいたんです。あなたはこんなので儲からない事分かっておいて置いていったんでしょうと。それも周りはあなたの敵ばかりです。(21〜22節)主人はその1ミナを取り上げて10ミナ持っている人にあげました。そして王になるのを望まなかった人々を、連れて来て殺してしまえと言っています。(24〜27節)

 神様に委ねられたものを守ろうとするならば、上手くいっても失敗してもそれなりに報いはあります。信仰を持ってクリスチャン生活をしているならば、皆さんは1ミナを持っているんです。神様から何かをいただいているなら、必ず増えるんです。この事を憶えておいてください。必ず実るんです。大切なのは、神様から預かっているものは増えていくと信じていく事。神様から私たちは何をもらっているんでしょう?ヨハネ14:15〜19では、イエス様を待つ私達に戒めを委ねられます。それは”わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これが私の戒めです。”イエス様は私たちに御言葉を与えられました。そしてその愛の御言葉とは、はじまりの旧約聖書から終わりまで、私たちの魂に、霊に、肉体に語られて神様の恵みを豊かに注いで下さいます。御言葉が神様から与えられています。
そしてもう一つ、真理の御霊が与えられています。(17節)これは当たり前のことですね。皆さんいつも聞いている事です。でもイエス様は当たり前のものを委ねていったんです。イエス様は約束されました。世の終わりまであなたと共にいますと。1ミナとは、御言葉と聖霊様が与えられている事です。私たちはこれをいただいているにもかかわらず、一体何の役に立つんですか?と思ってしまう事があるんです。なぜかというと私たちが主人から預かっているものを用いたいと思っても、御言葉を用いたい聖霊様の現われを見たいと願っていても、周りにあるのは反対する力なんです。その中で生きているんです。あなたがおられるのに何でこんな事になるんでしょうか?御言葉の約束があるのにどうしてですか?と言いたい中に私たちは置かれてるんです。商売も山あり谷ありです。でも何とかして踏みとどまろうと努めますね。今、主を待っている皆さん御言葉と聖霊に踏みとどまって行くべきなんです。私たちの信仰生活は御言葉と聖霊そのものです。ルカ19章にある10ミナもうけたしもべは忠実だったと褒められたんです。5ミナもうけたしもべは褒められませんでした。この違いとは、主人はこの1ミナでしっかりやれば10ミナ稼ぐ事ができるとはじめから分かっているんです。基本通りにやっていたらそうなると。だから忠実だったとおっしゃったんです。5ミナもうけた人は半分でした。私たちに与えられたのは、御言葉と聖霊です。神様は、どちらかだけではなくてこの二つに対して忠実である事を求めます。聖霊は、私たちが求めれば与えられるんです。(ルカ11:13)だから求めてください。神様は皆さんにこの1ミナを用いてほしいと願っておられます。

 私たちの中にある、神様が与えられた良いものをしまっておかないで下さい。神様は私たちに聖霊と御言葉を与えておられるけれどもこれだけですか?これで勝てますか?‥勝てます。皆さんが与えられた御言葉と聖霊様の恵みを本当に大事にして下さい。しっかり持っていてここに踏みとどまっていく時に、逆境が来ても打ち破る力が与えられるんです。イエス様がもう一度来られたときに、あなたが与えてくださったものでこんなに勝ち抜いてきました。これだけの主の業を見ましたと言えますように。ミナは預かっているものだから私たちは何もなくて良いんです。聖霊様と御言葉があるんです。

2005年11月03日更新

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