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「信じる者の姿勢、態度」

- 2005年12月11日 -

水野 明廣 牧師

聖句:イザヤ28:16

だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じるものはあわてることがない。

 今日のメッセージは一言で言うなら「あわてなくていいですよ。」・・・・というメッセージです。

1.あわてない

イエス様はあわてる事のない方でした。イエス様を信じる者はあわてず心騒がせなくて良いのです。イエス様ご降誕の時、天の軍勢が「いと高き所に、栄光が、・・地の上に、平和が、・・」と賛美しました。神の御心は皆さんが焦らないことです。伝道者の書7:9にあわてる者は愚か(原語は、ばか)と有ります。
 神様は本質的に喜びの神様です。イエス様も喜びと愛に満ちた方です。イエス様は去っていかれる前に「これらのことを話したのは、彼らの中でわたしの喜びが全うするため…」 と言われました。(ヨハネ17:13) 

 クリスチャン生活は本来、喜んでいるべきなのです。神様は私たちの思いや、願いを超えてはるかによい事をしてくださいます。例えば私の孫は、嫌いな食べ物を食べさせると泣きます。しかし、親は子供の健康を考えて泣いても食べさせます。神様のなさる事も時にはそれと同じなのです。神様はいつも私たちにとってよい事をしてくださいます。私達が嫌いと思っている人や、いやな仕事であっても、神様が与えてくださるのなら、それは私たちにとって最高の人々、最高の家族なのです。ですから苛立つことなく喜んで待ち望みましょう。

●詩篇112:10「その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。……悪者はそれを見ていらだち 、歯ぎしりして溶け去る。 悪者の願いは滅びうせる。」

 イエス様を信じて落ち着いている姿は、サタンとか悪魔の悪の勢力を懲らしめる最高の手段なのです。私たちの喜びを奪おうとする者は、いつも働いていて神の子の落ち着いた生活を打ち破りたいとじゃまをするのです。ですから、「私達が敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生をすごすため、すべての人のために、また王と全ての高い地位にある人のために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」(テモテ2:2,1)とあるように、この御言葉を実行することは、私達があらゆる攻撃から守られる為大切な事です。
 また、イザヤ30:15で「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。『立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。…』」
 イエス様は神様に全く信頼され、どのような時も決してあわてられず落ち着いておられました。ですから、サタンは何もする事が出来なかったのです。十字架につかれたのはご自分から命を捧げられたのです。私たちも嵐の吹きすさぶ中にいたとしても、私を愛してくださる主がそばにおられ、私のうちに主がおられ、主が味方であることを覚えて落ち着いた生活をしましょう

●イザヤ28:15「あなたがたは、こう言ったからだ。『私たちは死と契約を結び、よみと同盟を結んでいる。たとい、にわか水があふれ、超えてきても、それは私たちには届かない。私たちは、まやかしを避けどころとし、偽りに身を隠してきたのだから。』」

 イスラエルは神に頼らないでこの世の当てにもならないものに頼み、アッシリアやエジプトを頼みとし、また、占いにより頼みました。しかしそれは、よみと同盟を結ぶ事であり、死と契約をするのと同じであり、まやかしを避けどころとしているのです。私たちもそのようなことをしてはいないでしょうか。当てにもならない人に頼み、組織に頼み、団体に加わる事によって平安を得ようとするなら同じ事なのです。
 私たちの礎は不動の岩であるお方です。このイエス様と共に生きるのがクリスチャン人生なのです。このお方は、ヘブル4:15にあるように「・・すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受ける・・」ことが出来るのです。

2.愛を受け、与えるためにもあわててはいけないのです。

 私たちは今この時代、忙しい、とか早くするということをまるで成功し、進歩しているかのように使いまた、そう思っているのではないでしょうか。 神様は遅くても愛しておられ、喜んでおられるのです。この世の価値観とは違います。神の国はあわてず、急ぎません。愛を注いでくださる為に時間をかけてくださいます。私も、もう一度生まれ変わる事が出来るなら子供たちのために時間をとりたい。これからでも、愛を与える為に家族のために時間をとりたいと思います。

 ある一人の経営者が、死の床におられる方をお見舞いに行きました。不自由な身体を自分で動かそうとしながら「看護婦さんを呼ぶといやな顔をされる。」と言われました。人手が足りないのでしょう。建物が立派よりも人を大切にする方が先だと思いました。愛は人のために時間をとることです。愛を表そうとするならその人のために時間を用います。急げばいらいらします。私はもっともっと主の愛を受けるために、主との交わりをゆっくり持つ時間をとろうと思います。

3.聖霊様に導かれ、御霊によって生きようとするならあせったりあわててはいけない。

 聖霊様をあなたに合わせるのではなくあなたが聖霊様に合わせるのです。今の時代は、皆を急がせるというこの世の主権者の霊が働いています。しかし皆さんはその中でも落ち着いて主と交わり、主に聞いてください。聖霊様こそが本当に私たちを憩わせてくださる方なのです。
 あわてない生活をするための秘訣がイザヤ28:11,12にあります。11節は異言の事です。異言は霊によって祈りますから、疲れた者をいこわせ休ませてくださいます。クリスチャンはもっと異言で祈るべきです。
 世界的に大きく用いられた神の器達は異言で祈る時間を多く持っていたようです。異言はその人の徳を高め神の奥義を語るのです。ですから心騒がせることなく落ち着いた生活をする事ができるのです。
 今日の一言「信じるものはあわてない!」

2005年12月16日更新

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