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「イエス・キリストとGood News」

- 2005年12月25日 -

禹 浩鉉 牧師

聖句:イザヤ61:1-3 & マルコ11:22-25

  巷ではクリスマスがお祝いされています。にぎやかにパーティーが行われたり色んなことをされていると思います。しかし、イエス・キリストを抜きにしたクリスマスを祝っているだけです。祝っているというよりも、パーティーをやっているだけなんです。でも私たちは本当のクリスマスをお祝いします。祝うだけでなく感謝するんです。イエス様ありがとうございます。よく来て下さいました。神が人となってこの地上に来て下さいました。なかなか理性、知性では理解出来ませんよね。神が人となってこの世に来て下さった。アーメン。神様だから出来るんです。

 私が小さい頃、蟻と遊ぶ事が好きだったんです。蟻をいじめるのが好きだったと言った方がいいですね。蟻からしてみれば凄い迷惑だったと思います。私は遊んでいるつもりだったんですが、よく蟻に餌をあげようと上からクッキーを落とすんです。皆さんどうでしょうか、上からビルくらいの大きさのクッキーが落ちてきたら。嬉しいですか?恐怖ですよね。私は蟻に餌をあげたかった。助けてあげたかったんです。でも蟻にとって凄い迷惑ですよね。もし神様が私たちを助けたいと思って、天からビルぐらいの大きさのクッキーや飴玉が降ってきて嬉しいでしょうか?私は蟻を助けたいと思っても、蟻になることは出来ませんから、蟻にとっては迷惑な助け方しか出来なかったのです。

 でも神は全能で全知の神ですから、人となることが出来るんです。私たちを助けるために人となって来て下さいました。では何から助けるんでしょうか?この世に罪が入って、この罪のために私たちの中に呪いが入ってきたんです。罪が入って来たのでこの世に呪いが入って来た、死が入って来た、病が入って来た、滅びが入って来た、苦しみが入って来た・・・・私たちは自分の力で処理出来ないんですよ。どうにもならないような問題の中に私たちは生きているんです。
 そんな私たちを神は憐れんで、愛しているがゆえに助けたいので、神のひとり子イエス・キリストを送って下さいました。クリスマスというのは、神様が私たちに問題を解決するための恵みと助けを与えるため。また、罪を赦し、私たちを神の子供とする大きな恵みを与えてくださった恵みの日なんですね。決してケーキを食べる日ではないんですね。ケーキはなくていいんです。シャンパンもなくていいんです。私たちは肉を喜ばせるためにするかもしれませんが、本来は神が人となってこの地に来て下さった事をおぼえて感謝する日なんです。クリスマスの恵みの中でイエス様は希望を与えて下さり、私たちのために十字架について全ての罪を引き受けてくださり、私たちの罪を赦して下さいました。罪を悔い改めた方は罪がないんです。いつまでも罪のとりこにならないで神の子供として歩んで下さい。また主は呪いや色んな束縛から解放して下さいました。主はもう御業を成して下さったのに、私たちの方がそれを受け取ってないんです。いつまでも自分自身を束縛の中に置き、問題の中に置き、解放を受けずにいる人がいるんです。
 また主は勝利を与えて下さいました。悪霊の働きを打ち砕いて下さった。もう打ち砕かれたんです。私たちはサタン、悪霊を恐れる必要がないんです。悪霊たちは私たちにちょっかいかけます。私たちを滅ぼそうとします。でも私たちは恐れる必要はないんです。クリスチャンになったら、なぜか必要以上に恐れる人がいますが、私たちの内側に聖霊様がおられるのです。そして主はいやしと祝福を与えてくださる。(エペソ1:3)でも受け取っていない人がいるんです。

 今日みなさんにしっかりと受け取って頂きたいのは、主はこのような素晴らしい御業をされ、そして私たちに信仰を与えて下さいました。ヘブル書の12:2に「信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離さないでいなさい」と書いてあります。私たちが持っている信仰はイエス・キリストが始められて完成された信仰であり、この世の人々が信じているような信仰とは違うんです。私たちが持っている信仰はマルコ11:22〜24に書いてあるものです。
 22節の”神を信じなさい”という言葉を直訳すると「神の信仰を持ちなさい」という意味です。信仰を持っているのに用いないのが問題なんです。世の中の人たちが信じられない事を私たちが信じているのは、私たちが賢いからではないのです。ただ主の恵みによって聖霊様の助けによって、神の信仰が与えられているからです。神の信仰は私たちの理性、考え、思い、体験によって働くものではないんです。神の信仰は聖霊の油注ぎ、聖霊の満たしの中に働くんです。ところが、油切れを起こしてしまうと疑いが入ってくるんです。
 神の信仰は祈って求めたものはすでに受けたと信じる・・・信仰です。(24節)受けたら感謝しますね。主は一人一人の人生の中に働きたい、御業を成したいんです。私たちが神の信仰を持ち続ける、そして用い続ける事が大切なんです。秘訣は聖霊の油注ぎを受け続ける事です。私たちの熱心さではないんです。マタイ13章の中に種まきの話が出てきますね。豊かに実を結んだのは、良い畑に蒔かれた種です。良い畑というのは御言葉を聞いて悟る人です。御言葉の深みに入っていく事ができるのは、人間の知恵ではなく聖霊様の助けによってです。油注ぎと満たしの中で、神の信仰はからし種ほどであったものから芽を出して成長して行きます。どんどん祝福が大きくなっていきます。油切れをおこすと不平が出ます。信仰が働かないんです。恵みを無駄にしないで下さい。霊的な恵みをとどめ続けていかなければ、私たちは神の信仰を持って歩める事は出来ないんです。
 私たちを愛し私たちを助けるために天の栄光を棄てて、主は地上に来てくださったんです。私たちには神の信仰が宿っているので神の信仰を持って人々のために用いて下さい。私たちは主の素晴らしい御業を見る事ができ、分かち合う時があります。皆さん私たちは待たされれば待たされるほど気づきますよね。自分には信仰があったのかしらと。本当に神の信仰で歩んでいるのかどうか。患難が忍耐を生み出します。(ローマ5:3)主は私たちが神の信仰で歩んでいるかどうか見ておられます。肉的な信仰なのか、人間的な信仰なのか、過去の体験的な信仰なのかどうか。奇跡が起きない御業が起こらない事が問題ではなく、根本的な問題は神の信仰を持ち続けていない、しっかりと養い続けていないという事が問題なんです。神の信仰を持って歩めば祝福されます。神の信仰を持って御霊に満たされて行く時、来年は必ず祝福された年になります。

2006年1月1日更新

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