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「主に召された者たちへの主の約束」

- 2006年1月8日 -

水野 明廣 牧師

聖句:イザヤ41:8-16

  「しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしの選んだヤコブ、わたしの友、アブラハムのすえよ。」               

 神様は、「わたしが選んだ…。」と言っておられます。選ばれるということは嬉しい事であり、殆んどの人が望むのではないでしょうか。皆さんは選ばれた人たちです。そして神様は選ばれた者たちへ素晴らしい約束をしておられるのです。
「わたしのしもべイスラエルよ。わたしの選んだヤコブよ。」と主が語られる時、それは、今の私達への語りかけでもあることを知ってください。それは私たちがアブラハムの子孫だからです。アブラハムが受ける祝福を私たちも受けるのです。あらゆる面で、全ての面で。
イザヤ41:8−16を読んでください 
 ここは主が、主の召された者に約束されているおことばです。ところが旧約のこの時代の人々はこのことばをいただいても、信仰によって受け入れなかったので神の安息に入れなかったのです。私たちも素晴らしい神の約束のおことばをいただいても、信仰によって自分のものとして受け取らなければ、ただ良いことばで終わります。
 そして神様は私たちに呼びかけてくださる時、複数形ではなく、ひとまとめの呼び方ではなく、単数形で 「わたしはあなたを選んで・・、あなたの名を呼んで・・、わたしはあなたと共にいる・・、あなたを強めあなたを助け・・、あなたはわたしの目に高価で尊い・・…」と語ってくださいます。神様は愛と注目を皆さん一人ひとりに向けておられるのです。
 神様は私たちの過去も、現在も全てご存知であるのに見捨てることなく、一人ひとりの個性を喜んで大切にしてくださいます。なんと感謝なことではありませんか。

 人間は自分と人を比較し、他人の事を気にします。ペテロでさえ自分の将来をイエス様から聞かされた時「ヨハネはどうですか。」と尋ね、イエス様から「それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」と言われました。誰とも違うあなたを神様は選んでくださって「わたしは、あなたを絶対に捨てない。いつもあなたと共にいる。」と約束してくださいました。
 親が子を捨てる悲劇が最近多くなってきました。しかし、主は言われます「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい女たちが忘れても、このわたしは忘れない。」(イザヤ49:15)神様は絶対私たちを見捨てられません。皆さんがどのような所を通っていようとも、主はいつもあなたと共におられます。

 神様は私たちを愛してくださいますので、罪、重荷を取り除く為に試練を与えられるときがあります。しかし主は、「あなたが水の中を過ぎるときも、川を渡るときも、火の中を歩くときも、共にいて助ける。」と約束してくださっています。(イザヤ43:2)ですからいつも「主は共におられます、共におられる主よ、私は主を愛しています。」と言ってください。これを告白と言います。主は全ての事をご存知なのだからいちいち言わなくても良いのではないかと思うかもしれませんが、人間でも良いことばを語られると喜び幸せになります。「主よ、あなたは私の力です。助けです。慰め主です。」と言ってください。そうすれば「ああ、まことに主こそ神です。」とあなたに知らしめるような助け方をしてくださいます。
 たとえ、私たちが様々な攻撃を受け、「主よあなたはどこにおられますか、いつまでですか。」と神への信仰、信頼を奪われるような目に会うようなときが有ったとしても、主は「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。 たじろぐな。わたしがあなたの神だから。 わたしはあなたを強め、あなたを助け、 わたしの右の手で、あなたを守る。」と言っておられます。

 「足跡」と言う有名な詩をご存知でしょう。砂浜にイエス様がともに歩いてくださるので二つの足跡が有ったが、一番つらいところを通っている時、足跡は一つだった。そこで「主よどうしてですか。」と尋ねた時、主は「あなたが一番つらかったとき、わたしはあなたを抱いていたのですよ。」と言われたそうです。主はそのような方です。
 また、私達は何の役にも立たない虫けらのような存在と思えるときがあるかも知れません。しかし、あの有名な王ダビデでさえ自分が。「死んだ犬、一匹の蚤、」と思えるときがあったのです。ここにクリスチャン生活の不思議があるのです。パウロも高ぶらないようにと一つのとげを与えられ、その苦しみを取り去ってくださいと何度も祈ったけれど、主から「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われ「だから私は、キリストの力が私をおおうために、大いに喜んで私の弱さを誇ろう。キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじている。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからだ。」と言いました。
「神はこの様に自分の弱さ足りなさを思う者に「あなたを鋭い、新しいもろ刃の打穀機とする。あなたは、山々を踏みつけて粉々に砕く。」と言われるのです。(イザヤ41:15)ここに神に従う者の真理があるのです。心砕かれた弱いとき私たちはどうしますか「助けてください。」と神に叫ぶのではないでしょうか。その時神は共にいてくださる方であり、答えてくださる方であることを知るのです
 「主はともにおられる!主はいつもそばにいてくださる!」といつも声に出して喜び賛美しわくわくしたクリスチャン生活を送って下さい。

2006年1月10日更新

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