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「新しいことをなさる主の恵み」

- 2006年1月15日 -

水野 明廣 牧師

聖句:イザヤ43:18-22

  先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。しかしヤコブよ。あなたはわたしを呼び求めなかった。イスラエルよ。あなたはわたしのために労苦しなかった。(イザヤ43:18-22)

 この御言葉は、この時代の人々が偶像から主に立ち返ろうとしなかったために国が乱れ、外国の勢力によって支配されかかるという、まさに危機的状況の中での預言です。神様は、“わたしは新しいことをする。”と言われました。神様の特徴は新しさです。“大事なのは新しい創造です(参考 ガラテヤ6:15)”“誰でもキリストのうちにあるならその人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Uコリント5:17)”
 クリスチャンは日々新しくされていくのですが、人間は新しいことに抵抗を覚える性質があります。長くとどまっている状態から新しい一歩を踏み出すことは簡単ではありません。私たちは過去に縛られてしまう弱さがあるため、新しい良いものを自分のものにできないでいることが多々あります。神様が新しいことをなさる条件は、私たちが過去に執着しないということです。パウロは、“兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、(ピリピ3:13)”と言っています。主の御心は常に前向きです。「過去のことを思い出すな、考えるな。」と主は言われます。私たちが御言葉に従ってもう過去は忘れようと決心し、そう願って主に求めるとき、助け主であられる聖霊様が忘れさせてくださいます。

●創世記41:51 「ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた。」からである。」

 もしヨセフが自分の過去を嘆き、兄弟たちを恨んでいたら、彼の人生は成功しなかったでしょう。神様はエフタ、ラハブのような惨めな境遇にあった人々に、その時代に応じて人間の常識をはるかに超えた新しいことをしてこられました。主は人生の荒野に水をわき出させてくださいます。主がヤコブに会ってくださった所は以前はルズ(思いどおりにならないの意味)でしたが、その場所がベテル(神の家の意)と呼ばれました。神様は悲しみ苦しみをそのままで終わらせません。私たちにとっての災いや人生に行き詰まり、途方にくれるような状況を新しく変え、聖霊の泉のわくところとしてくださいます。ジャッカルやダチョウのようにみっともない、取るに足りない者が新しくされ、主をあがめるようになるのです。
 イエス様は十字架で私たちの過去をすべて終わらせてくださいました。主は私たちに新しい人生、新しい祝福を与えておられます。ですから、私たちは主に期待しましょう。大切なのは信仰です。今はまだ見えてこなくても主は必ず新しいことをしてくださるという信仰によって祈り、主をあがめましょう。主の恵み主の救いは、今日新しく注がれています。
 “しかしヤコブよ。あなたはわたしを呼び求めなかった。イスラエルよ。あなたはわたしのために労苦しなかった。(イザヤ43:22)”もっと切に求めて叫ぶ時です。“ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。(詩篇118:25)”この叫びを主は待っておられます。日本の教会の問題はラオデキヤの教会の問題と同じです。主への熱い渇きがなく、主に叫び求めようとしないことです。なるようにしかならないとあきらめないでください。主は私たちが願うときにまた私たちの口で告白するときに働かれます。現状に甘んじることなくもっと新しい恵み、もっと新しい祝福、今まで見たことも聞いたことも思っても見なかった新しいことを主がしてくださるように祈り求めましょう。“後の雨のときに、主に雨を求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる。(ゼカリヤ10:1)”今年、皆様が新しい恵み新しい祝福をさらに体験していかれますように祈ります。

2006年1月18日更新

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