トップページへ神の家族キリスト教会

 

「主から幸いな人と呼ばれている」

- 2006年1月22日 -

水野 明廣 牧師

聖句:イザヤ48:17-19 ルカ11:27-28

  今日は主から「幸せな人」と呼ばれて欲しいと願ってお話をしたいと思います。みなさん、誰かから幸せですねと言われた事がありますか?そう言われるのも良いですが、大切な事は本人がそう思っているかどうかですよね。私たちは神の御国の民と言いながら、地上に影響されて人からどう思われるか気にするんです。学校の先生が、家族が、隣の人が、職場の人があなたをどう言っているのか影響を受けます。でも皆さんは主から幸せな人と呼ばれる人になって欲しいんです。人は外から見るのと大分違うんです。もう皆さんお分かりだと思います。確かに人からどう言われるかというのも大切です。それを無視しなさいと言っている訳ではないんです。でも主なる神様から幸せだと言われる人に皆さんなって欲しいんです。これが一番幸せな事です。
 豊かな人生を送る、豊かな実を刈り取るために必要な事は、主から幸せな人と言われることなんです。そのためには、主のおっしゃる生活が私たちには必要なんです。もしイエス様が現実にここに立たれたら、あまりにも優しくて麗しく素晴らしいはずです。どうしてですか?イエス様はどんなに施しをしてくださっても癒してくださっても、やってあげたんだよという雰囲気ではないからです。私たちは誰かに何かをしてもらって申し訳ないと劣等感を感じてしまう人間関係の中に生きています。反対の立場だとやってあげたんだと偉そうな態度になるんです。でもイエス様にはそんな雰囲気全然ないでしょう。だから魅力的なんです。
 イエス様はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消す事もないんです。(イザヤ42:3)イエス様は求めて来る人を癒されるんです。求めて来る人のどんな患いも癒されたんです。だからあなたを産んだ者は幸いだと言われたんです。(ルカ11:27)でもイエス様は「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」とおっしゃいました。(28節)

 イエス様はよく聞く耳のある者は聞きなさいとおっしゃっていました。集まった群衆は全ての人が耳を傾けて従おうと思って聞いているわけではなかったと思います。皆さん聞き方に注意して下さい。私たちは罪の世界に生きています。罪というのは、どんな影響力を持っているかというと私たちを惑わし、混乱させます。そしてまとわりつく性質をもっています。黙示録の中に出てくる七つの教会に、主は同じ事を語られました。それは、今、神が神の御霊によって語っておられるので聞く耳のある者は聞きなさいと。
 主に聞くことは大事な事なんです。人間は何を聞いているかによって決まります。アダムとエバは主が語られた事とは違う言葉によって惑わされました。主が語られる事を聞いて欲しい。私たちはイエス様から愛されている事、喜ばれている事を自分に言い聞かせてみる事が出来ます。信仰は聞くことから始まります。(ローマ10:17)アブラハムもモーセも主の語られる事を聞いて従いました。主に聞く事従う事は、私たちが幸せに生きるための大きな影響力をもたらします。私たちの神様は私たちの思いをはるかに超えて良い神様です。イザヤ書43章では、これから新しい事をすると主はおっしゃいました。人々は様々な偶像をつくってこれが神だこれを拝めと言って、そのような生活を送ってたんです。そこでクロス王はイスラエルの民を解放するために用いられました。ユダヤ人でない王様に、聖霊が臨まれてユダヤ人を解放しました。それは簡単な状況ではなかったです。クロス王に主は言われます。“私はあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、鉄のかんぬきをへし折る。”(45:2) これは実は主が皆さんに語っていらっしゃる言葉です。聖霊ご自身を通して、あなたに今立ちはだかる山がある谷がある。しかし、主は私がそれを平らにすると語っておられます。問題を打ち破ります。
 45章には何度も「わたしが主」と繰り返し語られています。続く46章は「私に聞け」とあります。47:13には“あなたに助言するものが多すぎて、あなたは疲れている。”とあります。いろいろな意見で混乱してしまうんです。まず私たちは静まって主に聞こうとする事が大切です。全能の主があなたを励まし慰めます。主に聞く者になって下さい。そして語られる言葉を信仰をもって受け止めて下さい。あなたが信じて告白する事が大切です。イスラエルの人々は神の御言葉をモーセから何度も聞いていたのに、信仰に結びつけていなかったので安息に入る事が出来なかったんです。(ヘブル4:2)信仰の父と呼ばれたアブラハムは、愛するひとり子をささげるという信仰の従順をあらわしました。主の声に聞いて従ったので祝福されました。(創世記22:17)年を重ねていっても、主はあらゆる面で彼を祝福されました。(24:1)
 アブラハムは初めから完璧ではありませんでした。私たちも今日失敗しても、助けて下さい主に合わせます、と主の言葉に生きていくことが幸せです。それから、イザヤ書48章はとても重要な御言葉です。ここで主なる神が「わたし」と何度も繰り返し強調された箇所です。私たちが注目され褒められるのではなく、神様に栄光を帰さなければなりません。栄光は主のものです。(11節)教会はキリストの体であって、頭はキリストです。イエス様が置き去りにされてはいけません。私たちが試練や苦しみを通るのは主により頼み本心からイエス様に栄光あれと言える様になるためです。イエス様は皆さんを妬むほどに愛しておられます。だから信頼してほしいんです。主に頼るものは幸いです。(箴言16:20)こんなクリスチャン生活を送っていく時に皆さんは祝福の源とされます。私たちは祝福を受け継ぐために召されました。兄弟姉妹、もっともっと主に聞いてイエス様の御言葉に生きていこうではありませんか。

2006年1月30日更新

先頭へ

戻る