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「クリスチャン信仰で生きている」

- 2006年2月5日 -

水野 明廣 牧師

聖句:イザヤ 54:1-6

  クリスチャン信仰とはどんな信仰でしょう?もちろん、イエス・キリストが救い主であると信じることですし、またイエス・キリストの復活を信じることでもあります。そして、何よりも祝福の信仰です。

●創世記1:28「神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」

●創世記12:3「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

 とあるように、主は私たちへの祝福を約束してくださっています。主は私たちをご自分によって祝福を受ける存在として下さいました。ですから、どんな状況の中にあっても失望せずに主に信頼して祝福を大いに待ち望みましょう。

●ガラテヤ3:9「そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。」

 そのためにも、主ご自身を求めていくことは大切なことです。「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」(箴言8:17)このように、熱心に主を求めるならば格別に主は私たちを愛してくださいます。

●Tコリント8:3「人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。」

 神の言葉には、ロゴスとレーマというものがあります。ロゴスというのは文字通り神の語られた言葉です。ヨハネ1:1では、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」・・・・このことばはロゴスです。レーマというのは、神がある時、ある人だけに直接語られる言葉です。レーマの取扱いは気をつけなければならないのですが、語られた言葉が一つは聖書に則っているか、もう一つはよく祈っている人が同じ思いを抱いているかどうかが見分けられる方法になってきます。

 ある時、私(水野牧師)は強烈にこのレーマを体験したことがあります。このレーマを頂くと一瞬のうちに私たちの内に、神がどのように私たちを見ておられるか悟ることができるようです。私(水野牧師)は神の恵みの中で献身して、約40年になります。主の御用をし始めたとき、まずここの教会を建て、それから小牧の現在の和田牧師の教会を建て、次に土岐に教会を、と働きを進めていきました。その時、近くに住んでいた青年が献身し、聖書学校を卒業したので、土岐の教会を任せることにしました。しかし、2年たったクリスマスの集会の時に、土岐の教会から私の元に連絡が入りました。牧師がいなくなってしまったのですが・・。というものでした。姿を消してしまったのです。そればかりか、後になってその青年は教会の方々に私に関して見に覚えのない批判を手紙で送っていたのでした。土岐の教会の借金のことも重く私にのしかかってきました。また時を同じくして、教会にみえているある事業家の方から援助を依頼されました。熱心に頼まれ、信頼して資金援助をしました。それは私の親が私の孫たちのためにと用意しておいてくれたお金でした。しかし、その方も又突然行方がわからなくなってしまいました。財産を無くしてしてしまい、負債を背負い、人にも裏切られ、私は全く八方ふさがりの状態でした。そのような時期にジャック・ヘイフォード牧師の通訳をしてくれないかという依頼がありました。それが今日の御言葉の箇所です。

●イザヤ54:1-6 「『子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ。』と主は仰せられる。『あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。恐れるな。あなたは恥を見ない。恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、やもめ時代のそしりを、もう思い出さない。あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、全地の神と呼ばれている。主は、あなたを、夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、若い時の妻をどうして見捨てられようか。』とあなたの神は仰せられる。」

 当日の集会の中で、この言葉をジャック・ヘイフォード牧師は何回も繰り返しました。2回目はさらに大きな声で、3回目はさらに喜んで繰り返しその御言葉を語られました。通訳していた私は、なぜこんなに繰り返すんだろう、そんな喜んで大きな声を出すような気分ではないのに、と思っていた瞬間、神が私に語られました。「神である私があなたに語っている。」
 何をやろうとしてもそれがダメになっていく、そればかりか残されたのは負債や裏切られたという気持ち、また失敗の負い目、そのような中で語られた、まさに一瞬の出来事でした。「主よ。あなたは何もかもご存知で私に語ってくださっているのですね。」それは私のために語られたレーマでした。主は本当に良いお方です。そのレーマのお陰で人間的な理性や経験ではどうにもならない状況にあっても、神に信頼することができました。

●ロマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

 クリスチャンの歩みには苦しみや悲しみが無いわけではありません。しかし、つらい状況の中で主を求めることができることが本当に幸いです。

●ハバクク3:17-19「そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。」

 人間が努力して得られるものもあるいはあるでしょう。しかし、神が備えてくださるものは、はるかに素晴らしいのです。

●Tコリント2:9「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。』」
 実の無いとき、花の咲かない時にこそ、主をほめたたえてまいりましょう。

●Uコリント8:9「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

2006年2月6日更新

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