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「主のみことばを楽しみ喜びとする」

- 2006年3月26日 -

水野 明廣 牧師

聖句:エレミヤ15:16-20

  言葉はとても大切で、主のみ言葉を喜びとすることは、私たちの人生を豊かにする、私たちに収穫をもたらします。それが、今日のテーマです。

 言葉にはたいそう、力があり、人を建て上げ、励まし、勇気づけ、立ち上がらせることができます。一方で、行動よりも人を倒したり、傷つけたりできます。1994年の聖会の時、ウエイン・コデイロ師が「あなたに(水野師)に神からの言葉があります。」と語られたのが、「もし、あなたが、卑しいことではなく、尊いことを言うなら、あなたはわたしの口のようになる。」とエレミヤ15:19の御言葉でした。(わたしの口のようになるとは、神の代弁者となるという表現)

 エレミヤは大変な困難な時代に預言者として召されました。彼が神のことばを語るとひどいめ目に遭いました。エレミヤ15:17、18は、苦しい苦しい彼の心を訴えています。孤独になり、憤り、痛くなり、ついには神様に対してつぶやいてしまいます。そんな人の方を向いているエレミヤにエレミヤ15:20で再び主は語られます。卑しいこととは、軽々しい、徳を建てない、自分や人の価値を引き下げることばです。一度、口に出したことばは元には戻りません。

●「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。」(詩篇141:3)

 箴言には、人の語ることばが私たちの実になり、くちびるの実を腹の中に持っているとあります。ことばは大切です。「他の人がどうであっても、今日から尊いことを語る!」と決めましょう。主の御言葉を普段の対話や特に祈りの中に入れるのは、大きな力です。とりなしの祈りをしたダニエル、ネヘミヤ、モーセも「神様がおっしゃったではありませんか」と使っています。神様はご自分の送ったことばは必ず実現されます。

 御言葉を心に植えつける(コロサイ4:16)ことが大切です。御言葉を食べました(エレミヤ15:16)とは、覚えることです。
御言葉を覚え、昼も夜も口づさむ。(詩篇1:2)御言葉を口づさむなら、罪から守られます。御言葉は、人生を照らす光であり、道の光です。(詩篇119:105)「〜と聖書に書いてある」と歩めないと、つまづいてしまいます。御言葉は、すべてを洗い聖めます。御言葉は、真理です。(ヨハネ17:17)御言葉は、剣です。(エペソ6:17)

 私たちは意識しなくても、信仰の戦いがあります。クリスチャンににとってたった一つ、敵を打ち負かすものは、御言葉の剣です。病気の時、何もかも上手くいかない時、裏切られた時など、人生のさまざまな試練の時、どんな武器を使いますか?もし、御言葉がないなら、戦場に武器なしで出て行くようなものです。人生の日々の出来事に対応できる御言葉を持ち、その御言葉を語るくちびるこそ、尊い、価値あるもので、それに対抗し得るものはありません。人生の問題の時、勝利に導くのは人のことばではなく、神の言葉です。量はいいません。一つでもしっかりにぎってください。神に言葉は、不動の岩、たとえ天地が滅びることがあっても変わることははありません。尊い御言葉を蓄え、語れるようになってください。それが、わたしたちの幸せであり、勝利です。

2006年4月2日更新

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