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「主が私たちに問われていること」

- 2006年4月2日 -

村上 好伸 牧師

聖句:創世記3:8-9

●創世記3:8〜9 「あなたは、どこにいるのか。」

 エデンの園で神様がアダムとエバに対してどこに行ったのか?と問われました。天地のすべてのものを創造した神は、神のかたちにアダムとエバを創造して、神と交わり、神と語り、エデンの園を管理させました。しかし、アダムとエバは罪を犯したため慌てて隠れました。神は言われました。「どこに行ってしまったの?私の愛する者よどこに行ってしまったの?あなたの信仰はどこに行ってしまったのだろうか。神様に対する感動や愛や喜びや献身はどこに行ってしまったの?」
 頑なな心でも献身的な礼拝はでき、歌も歌えるでしょう。でもあなたの中にある初めの愛はどこに行ってしまったのか?ひょっとして、神が今日、私たちに呼びかけていらっしゃるのなら、悔い改めて神の前にここにいますと、もう一度主のもとに立ち返る機会ではないかかと心から願っています。私たちは、アダムとエバが犯した罪のために滅ぼされるのではありません。隠している罪のために、神様との交わりが絶たれているのです。何千回何万回と、私たちがたとえ罪を犯すことがあったとしても、悔い改めれば、そのつど、どこどこまでも、いついつまでも主はあなたを赦して、そして私たちを愛してくださるためにその十字架の血潮が今日までのために流されている事を心から感謝いたします。神様はエデンの園でアダムとエバのそばにいましたが、アダムとエバの心は遠く離れて、罪を隠してしまっていました。そのような状況において、今日、神様があなたをさがしておられます。

●出エジプト記4:2 「あなたの手には何をもっているのか?」
 
 今日、神様が私たちにあなたの持っているものは何か?とたずねておられます。女性の方の中には、案外、自分の持っている服を忘れて、一所懸命、新しい服をさがして廻る人たちを見かけます。私たちは自分が何を持っているのか忘れてしまっているんです。そして何にも無いような顔をするんです。無いような顔をしないで下さい。諸々の天の祝福をもって私たちは祝福されているんです。物凄く大きな神様の愛を私たちは与えられているんです。大きな繁栄と祝福と恵みを与えられています。神様は私たちに何を持っているの?とおっしゃいます。私には何も無いけど、モーセの手にある杖、それが神の御手にかかれば、私たちの人生に大きな道を開く大きな力になりますから感謝いたします。

●列王記T19:13 「エリヤよ。ここで何をしているのか。」

 エリヤは天から火を下し、3年6ヶ月降らなかった雨を降らせ、イザベルとの激しい戦いがあって疲れ果ててしまいました。あんな偉大な預言者なのに、霊的にも精神的にも肉体的にも疲れ果てて生きる気力も失せてしまいました。そんな中で主は現れて問いかけられました。ひょっとしたらあなたも人生において弱り果て、疲れ果てているかもしれません。プレッシャーの中、何をして良いのかわからなくなってしまう。主はそのようなエリヤにするべき事を語られました。何を神が私たちに願っておられるのかと、主に聞かなければいけないのは今ではないでしょうか?
 神がもう一度あなたに語られる御声に、応答してくださいませんか?神があなたにこの教会の中でしなければならない事はなんですか?神があなたにして欲しい事は一体何ですか?私に委ねられている事をさせて下さいと。

●列王記U4章 

 預言者の夫が死に、子供達が奴隷にされるという母親がエリシャに助けを求めました。エリシャは彼女に「家にどんな物があるのか?」と聞きました。答えは油のつぼ一つ・・・・でした。エリシャはあちこちから器を借りてきて、その中に油をつぎなさいと言いました。私たちの中に少しだけでも聖霊の油があるのなら、私たちの内からその聖霊が、器がある限りとめどもなく注がれます。持っている人はもっと与えられます。持っていない人は持っているものまで取り上げられます。私たちの主はどこまでもいつまでも満たしてくださるお方ですから感謝します。
 あなたの家に何があるんですか?この教会に何があるのですか?どのような聖霊の働きがあるんですか?私たちの家に人生に教会に与えて下さる聖霊様の油を器に、どんどん注いでいく時に、さらに満たされて神の働きが進められていきます。神にはどれだけたくさんあるかが問題ではないんです。5つのパンでも2匹の魚でも良いんです。それが主の御手の中にあるのなら、5千人であろうと10万人であろうと与えられるものであって足らないということはないのです。

●エゼキエル37:3

 エゼキエルが見ていたのは骨、骨、骨でした。神はエゼキエルに対して「これらの骨は生き返ることができようか。」と聞きました。渇いて疲れてどうしようもないような日本かもしれない。教会かもしれない。しかし、神が私たちに語りかけているのは「生きる返ることはできるのか?」ということです。四方から風が吹いてきて、神はこの骨を生き返らせるという神の働きを起こして下さるので心から感謝いたします。

●ゼカリヤ4:2 「何を見ているのか?」

 ここで聖霊の油が注がれて流れている幻を見ていました。このクリスチャンライフに聖霊が注がれて流れ出て別の器を満たしまた流れていくという状況があることを忘れてはいけません。聖霊の油注ぎを私たちの目でしっかり見ていきたいと思います。私たちは聖霊の油注ぎが豊かに注がれるというこの時代に生かされている事を心から感謝いたします。

2006年4月6日更新

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