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「死者の中からの復活」

- 2006年4月16日 -

大矢 頭 師

聖句:ピリピ3:1-14

  私たちの人生は良いことばかりではなく、生涯ずっと幸せに暮らせるとは限りません。残念ながらこの世は罪と呪いに満ちているので、むしろ私たちの人生は苦しみ、悲しみ、悩み、が多いのです。私たちはこの地上に生きている限り、このような苦しみ、悲しみ、悩み、と向かい合っていかなければなりません。そこから逃げることはできません。しかし、イエス・キリストを信じる信仰はこれを克服し勝利させてくださいます。罪と呪いに満ちたこの世に対して勝利させてくださるのはキリストの力です。イースターはキリストの力が私たちの中に働いているということが一番、明確に示されている時なのです。

 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。(ピリピ3:10-11)

この御言葉には三つのキリストの力が隠されています。
 @ 復活の力
 A キリストの苦しみにあずかる力
 B キリストの死と同じ状態になる力
です。パウロは@、A、Bの力を得て死者の中からの復活に達すること、これを何とかして自分のものにしたいと追い求めているのだと言っています。人生の色々な問題や課題をキリストの力を自分のものにして、克服するのが彼の願いです。パウロはそれをまだ完全に自分のものにしていないけれども、絶対自分のものにできると信じて、追い求めているのだと言っています。なぜならそれを得るようにイエス様が彼を捕らえて下さったからです。捕らえて下さったとは「あなたの願っているものはもうすでに備えてあって、あなたのものだから受け取りなさい。」と主が言われているということです。

 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。(ピリピ3:15)

 クリスチャンであっても、もしパウロと違った考え方をして、キリストの力が自分のものになるということに疑いを持つなら、間違った考え方をしているのです。私たちは追い求めていくならば必ず得ることができるのです。もし、復活の力が私たちが地上での生涯を終えて、イエス様の再臨のときに与えられるだけのものだったら、パウロが言っているように生涯をかけてひたむきに求めていく必要があるでしょうか。神様が復活の力を得るようにと、今の私たちを捕えて下さったのです。今、生きている私たちの人生の中でこの力を得るようにとここに呼ばれているのです。復活の力とは何でしょうか。ユダヤ人は死者の復活の問題でパリサイ派とサドカイ派で意見が対立していました。(参照Tコリント15:12)もし復活が無いなら私たちの信仰は実質の無いものです。

 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(Tコリント15:17-19)

イエス様が復活されたことが事実だと信じるか否かによって、私たちのクリスチャン信仰は決まるのです。イエス様は復活という出来事を通して私たちの信仰を確立して下さいました。イエス様がよみがえられたという証拠があるので、私たちは復活の力を信じることができるのです。イスラエルにイエス様が葬られたといわれる墓がありますが、その入り口の扉には“ここにはおられません”という言葉が書かれてあります。ではどこにおられるのですか。イエス様は私たちの中におられます。復活の力は私たちの中に働いています。もしイエス様の復活が無いとしたら主がともにおられるという信仰もありえないのです。イエス・キリストの復活はこの地上にある罪の力、呪いの力、悪魔の力、あらゆる権威と力を完全に滅ぼして、その支配をご自分のものにされ、すべての権威を父なる神様のもとに集めるのです。(参考Tコリント15:25-27)イエス・キリストの復活は権威と非常に近い意味があります。

 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」(ヨハネ10:18)

 イエス・キリストの復活は御自分の意思で命を捨てて、もう一度それを得る権威があるという意味を持っています。つまりイエス様は死の力にも支配されることは無く、地上にあるあらゆる法則や権威に影響されたり、支配されたりすることがありません。私たちはイエス様からこの復活の力、権威をいただいているのです。私たちの信仰はイエス・キリストの復活と無関係ではありません。信仰と復活は一つです。イエス様が権威を持って死に対して立ち向かい死の影響力を滅ぼして、よみがえられた事は今の私たちにも起こりえる事なのです。

 イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、言った。「主よ。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」(マタイ8:5-9)

 私たちは権威の中で守られ、務めをしていきます。権威が一本筋が通っているときには、一番上で言われたことがそのまま成就するのです。父なる神様がイエス・キリストを復活させるという御心は、イエス様が父の権威の中にあったので成就しました。同様に私たちがイエス・キリストの権威の中にとどまっているなら、この世ですべての人々が影響され支配されている罪と呪いの力、死の力にも勝利することができます。悪魔はイエス・キリストの権威によって退きます。私たちはこの世にあって暗闇の力に影響されて生きるのではなく、信仰を持って生きましょう。私たちがイエス様の中にとどまり、キリストの権威のもとにあるなら、聖書の一つ一つの御言葉が私たちに実現します。主が癒すといわれたら癒されます。主が祝福するといわれたら祝福されます。今が祈る時です。信じる時です。イースターの今日、皆さんの信仰をよみがえらせてください。墓の中にあった信仰を引っ張り出してください。神の御言葉は真実です。約束は実現します。期待しましょう。

2006年4月18日更新

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