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「主なる神は自分の子どものために祝福のために癒されるお方」

- 2006年4月23日 -

水野 明廣 師

聖句:ヨハネ 11:3

  主は私たちにとても良いお方でいらっしゃるので感謝します。
先週、大阪で祈りの祭典があり、世界12ヵ国から参加者が自費で集まったのですが、チャック・スミス師の預言のように大阪で竜巻が上っていく、まさにそのような集会になりました。こんなにも主が私たちを愛してくださっているのかという感動と恵みがありました。主の恵みが注がれるうちに、天が日本のために開かれてる。大収穫の時が来た。私(水野師)も去年から言い続けていますが、偶然ではなくその時を迎えさせてくださっています。

 マルタとマリアは兄弟だけで生きている、わけありの家庭のようでした。不思議なことに、そこにイエス様は来られました。兄弟ラザロが病気になったので、彼女たちはすぐにイエス様のことを思い出しました。使いを送って、「主よ。あなたが愛しておられる者が病気です。」と言いました。私はいやしを祈る時、この御言葉を使います。神はひとり子を賜ったほどにこの世を愛され、個人名でひとり、ひとり、名を呼んで選ばれました。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)とあり、愛しているからいやす、と強く教えられました。イエス様のところにいやしを求めてきた人で癒されなかった人は、ひとりもいません。スロ・フェニキヤの女(ユダヤ人でない)が医者の手に負えない子供のために、イエス様に大声で叫びました。弟子たちも制止しきれず、ついにイエス様は「子供に与えるパンを犬には与えられない」と言われましたが。この「子供に与えるパン」とはいやしと解放のことです。Tヨハネ3:1にあるように、私たちはすでに神の子どもです。イエス様が私たちのために死なれたのは、神の子どもであったのに、そうでなくなってしまったからです。イエス様のゆえに、今は愛されている神の子どもです。愛されている子どもにはパンが必要です。パンは父なる神が私たちにくださるものです。また、信仰も大事です。このスロ・フェニキヤの女もイエス様の言葉に対してさらに迫って、「子供が散らかしたパンを犬は食べます。」と訴えました。イエス様は「メガ(超)すばらしい信仰」と褒めます。イエス様は私たちの信仰をとても大切にされます。長血を患った女(ルカ8:43-48)や百人隊長(ルカ7:1-10)に対してもその信仰を褒められました。イエス様はいやしの信仰を持ってほしいと願っておられます。聖霊の宮として自分のからだを守ることは大切です。でも、一番大切なことは「愛されてる」ということです。

●「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」(Vヨハネ2)

 イエス様は私たちが罪の裁き、のろい、力、あらゆる罪とのかかわりから離れ、義に生きるために、十字架で死なれました。(Tペテロ2:24) 父の御心は私たちが健康であることです。いやしの現実化のために。

@「大いに祝福してください」と叫び続ける。
 ヤベツは悲しみのうちにという生い立ちにもかかわらず、自分は本来、祝福の家系、アブラハムの子孫、主をあがめる家系だと、「大いに祝福してください」と叫び続け、重んじられました。クリスチャンはイエス様の十字架のおかげで実は、癒されています。私たちは祝福を受け継ぐために召されたのです。(Tペテロ3:9) 信じているから、叫ぶのです。御言葉にあるのでいやされたと感謝して喜びましょう。あのヤコブも、御言葉、約束があったにもかかわらず、確信があったわけではないようです。「祝福してくださらなければ、あなたを離しません」と言っています。恵みは注がれているが、神様は「恵みが欲しい。祝福が欲しい」と執拗に求めて欲しいと期待しておられます。

A主の愛が私を包む。
 主の愛が自分の上にあるとき、心もからだも癒されます。私が主に愛されている。この人を主が愛しておられる。私もこの人を愛している。このような愛の関係があるとき、信仰の霊が流れいやしの霊が働きます。なぜなら、神は愛だからです。パウロ先生の場合は例外中の例外で、本質的に主はいやし主。私たちの健康を願っておられます。

Bいやしのために祈る。
 「大いに祝福してください。」と祈り、いやしのために祈る。相手がどうであれ、相手に対して自分が好意を持っていれば大丈夫です。自分には、まだ、そんな信仰も、経験も、力も、聖さもない、サタンはそんな資格はないと言うでしょう。でも、いやしは主のものです。私たちはただの管、イエス様からもらったものを配る配達人です。いやしのために祈るなら、自分もいやされます。蒔いたものを刈り取るからです。

いろんな状況の中にあっても、忘れないで下さい。ヤベツは悲しみの中でも、叫び続けました。叫び、主に求め続けましょう。

2006年4月28日更新

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