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「主の愛と誠実とを信じ続ける」

- 2006年5月14日 -

水野 明廣 師

聖句:エレミヤ書31:3

「永遠の愛をもって、私はあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」

  クリスチャン生活というのは天地万物をお創りになった万能の神様に愛されているという、この土台がしっかりできていることが非常に大切です。私たちは愛されています。しかし、この愛されているという思いを壊そうとするもの、盗もうとするものが働いている事も忘れないで下さい。
 イエス様は弟子達に「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」(ヨハネ15:9)と言われました。Tヨハネ4:16にも「・・神は愛です。愛の中にいる者は神の中におり、神もその人のうちにおられます。」とあります。
 イエス様は本当に私達を愛してくださっています。この事をしっかり知ることはクリスチャン生活の土台です。私達はこの土台の上にクリスチャン生活が有るのだとパウロもはっきり言っています。「・・キリスト・イエスご自身がその礎石です。」(エペソ2:20)と。
 そして、「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持ち、人知をはるかに越えたキリストの愛を知り、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなた方が満たされますように。」(エペソ3:18,19)とパウロは自分の経験で神様の愛に圧倒されてその感動の中から、愛されている者らしく生きましょう。と勧めています。

 愛されていないと目つきがおかしい、人間も、犬も、猫も行動もおかしくなりますよ。ルーマニアのあの悪名高い独裁者チャウシェスクが、なんと乳児で実験をしたのです。唯物論の証明をしようと、生まれた赤ちゃんを母親から離し、ミルクだけを与え続けたところ、2歳まで生き延びた子は一人もいなかったという医者の報告があるそうです。人間は愛がなければ生きていけないのです。親からさえも愛されてないという思い、親は愛しているのに愛されていないという思い違いなどがあるなら、その人はとてもつらい人生を送らなければならなくなります。ですからイエス様は、十字架を目前にして「父が私を愛しておられるように、私もあなた方を愛しています。ですから愛の中に、とどまって欲しい。それはあなたがたの喜びが満たされる為です。」と言われました。ですからクリスチャン生活は、どのような神学、教理を持っていたとしても、「主に愛されている」ということをしっかり自分のものにするということが土台なのです。

 その思いを壊そうとするもの、盗もうとするものが働きますが、自分は愛されているという確信を持つことが大切です。私はクリスチャンになっても長い事、イエス様に愛されているという確信がありませんでした。反対に嫌われているのではないかと思ったほどです。「主よ私を哀れんでください!助けてください主が私を愛してくださっている事を知りたいのです!」と、切に願い続け、1週間断食したり、何か主に喜ばれない事があるのではと、考えたり必死でした。願っているうちに、ある日、光が与えられ、聖霊様の恵みの中で確かに「主が私を愛してくださっている」という思いと、主が「わたしはあなたを愛しているよ。」と語っておられることを知る事ができました。それ以来、牧師の仕事が楽しくなりました。

 「わたしは永遠の愛をもってあなたを愛した。」この言葉は真実です。皆さん愛されている事は事実なのです。それが自分のものとなる為に「主よー、あなたが私を愛してくださっているのを知りたいのです。悟らせてください!」と迫っていく心を絶対放棄しないで下さい。
 イエス様は復活された時、テベリヤの湖畔で、悲しみと弱さの中で漁に出て、何もとれずに夜明けに帰ってきた弟子達に「子供達よ。食べる物がありませんね。」と優しくお声をかけられ、その場で大漁の恵みを与えられ、炭火の上に魚とパンを用意され「さあ来て、朝の食事をしなさい。」と愛に満ちたお言葉をかけられました。そしてイエス様を裏切り傷ついていたペテロに3度「愛しています。」と言う言葉を語るようにされて癒され、また皆を励まされ、弟子達に愛を示されました。何というイエス様の愛でしょう。
 同じように私たちをも愛して下さっています。主が嫌がられるような事を言ったりしたり、又神に敵対したから、ああ、もう自分はイエス様に嫌わたのではと思ったりもします。しかし、「キリストの愛から私たちを引き離すのは誰ですか。艱難ですか、苦しみですか、迫害ですか、…・なにものもキリスト・イエスに有る神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8:35〜39)とパウロは言っています。この素晴らしい神の愛がわかって、はじめてクリスチャン生活は軌道に乗るのです。

 イエス様も公生涯の初めに神様から「これは、わたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」と語っていただかれました。(マタイ3:17)また、十字架にかかられる前にも「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言う事を聞きなさい。」(マタイ17:5)と。

 愛は全ての原動力です。愛無しにわたし達は生きていけません。この世にあってたとえ誰からも愛されていなくても、主が「愛しているよ。」と言ってくださっています。このことを信じてください 神がどれほど愛してくださっているかを知って、愛の人生を歩んでください。その愛を流してください。愛は人に有形無形のよいものを与えます。決して害を与えません。「目に見える兄弟を愛さなくて、どうして見えない神を愛する事ができますか。」(Tヨハネ4:20) 神を愛すると言う事は兄弟、姉妹を愛する事です。イエス様の戒めは一つです「わたしがあなた方を愛したように、あなたがたも愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネ15:12)
 イエス様は本当に愛の方です。人々を愛して、解放を与え、病を癒し、慰め、食べ物を与え、寝る間も惜しんで神の国の福音を語られました。悪い事は何もされませんでした。にも拘らず与えた人々から十字架につけろといわれたのです。ところがイエス様は「彼らを赦してください。彼らは何をしているのかわからないのです。」と執り成してくださいました。私達はこの様な素晴らしい愛を受けているのですから私達もガリラヤ湖の様に愛の水を流し続けましょう。愛は流さないと死んでしまいます。死海のように。

 一番近い人から愛を示しましょう。夫、妻、子供、親、友人と。
 
「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のあるものはみな神から生まれ神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神はあいだからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに、愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。(ヨハネ4:7-11)

2006年5月20日更新

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