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「御霊に満たされ、御霊に導かれて歩むために」

- 2006年6月11日 -

水野 明廣 師

聖句:エゼキエル書 37:1

  「主の御手が私の上にあり、主の霊によって、私は連れ出され、谷間の真ん中に置かれた。そこには骨が満ちていた。」 

               
 エゼキエルは捕囚の民としてバビロンに連れて行かれ、そこで、5年目に預言者としての召命を受けました。エゼキエル書の特徴として「私は主の霊によって連れ出され…・・」「霊が私を引き上げ・・」「霊が私を持ち上げ・・」という箇所が多くあり、聖霊によって動かされている様子が記されています。又、新約聖書中にもイエス様が「御霊に導かれて荒野に下り・・」(ルカ4:1)。「主の霊がピリポを連れ去られたので、…」(使徒8・39)等あります。

 使徒行伝4章には、聖霊に満たされた弟子達が心を合わせて一つになって働き、大きな御業が成された事が書かれています。何が人を変えるのでしょう。それは聖霊様ご自身なのです。そして私たちをも変えてくださいます。「…栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(コリントU3:18)。その前に「しかし、人が主に向くなら・・」とあります。
 皆さんも今日こうして聖霊様に導かれて教会に来る事が出ました。「オメデトウ」と言いましょう。主がとても喜んで下さっています。主はどこにでもおられ、どこでも祈りを聞かれます。しかし、「主は、その聖座が宮にあり、・・」(詩11:4)「主はその宮で私の声をきかれ、・・」(詩18:6)「私は一つのことを主に願った。命の日の限り主の家に住み、主の麗しさを仰ぎ見・・」とダビデが歌った様に、主の家に集まる事は主の民が祝福を受けるために大事な事です。

 又、神を賛美する事はとても大切なことです。全知全能であり、愛であり、聖であられ、義であられ、善なる偉大な偉大な、比べるもののない大いなる方を賛美する事は、創られた者として当然であり、喜びであります。「イスラエル(クリスチャン)の賛美の中に主はおられるのです。」皆が一つとなって賛美する時、神の栄光がそこに現れ、神に敵対するものは歯軋りして逃げざるをえないのです。イエス様も「御名があがめられますように、み國が来ますように、・・・」と祈りなさいと言われました。父なる神は本当に一人ひとりを心から愛し、その幸せを願っておられます。皆さん、次の三つの事を絶対覚えていてください。

1.私は、神様に愛されている。
●「キリストも私たちを愛して私たちのために、命をささげられました。」(エペソ5:2)
●「わたしがあなたがたを愛したように、…」(ヨハネ 13:34)
●「わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)
●「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。」(エレミヤ31:3) 等まだ沢山あります。

2.神は私を大切だといわれます。
●「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ43:4)

3.神はいつも私と共におられます。
●「見よ、わたしは、世の終わりまでいつも、あなた方と共にいます。」(マタイ28:20)

人間はいつも、いつまでも一緒にいることはできません。しかしイエス様はいつも、いつまでも共にいてくださいます。私から目を離すことはありません。ですから私はいつも自分に言い聞かせます。「私は、愛されている。大切に思われている。共にいて下さる。」と

聖霊様は私たちにとってどれ程大切な方なのでしょう。それは私たちを神の子として生きられるようにして下さるのです。弟子達が使徒として力強く生きることができるようになったのはペンテコステの時聖霊を受けてからです。イエス様は言われました。

●「神のみ霊に導かれる人は誰でも神の子です。」ローマ8:14

御霊の導きに従うかどうか・・・・私たち次第です。導きに従う時、神の子供として生きてゆくことが出来ます。そして祝福を自分のものとすることが出来ます。御霊に満たされ導かれて歩むなら時を用い賢く生きる事が出来ます。神様が願っておられることは、私たちを天国へ連れて行って下さる前に、地上にいる私たちの心の中に神の御国を現したいと思っておられるのです。そして、神の子としてプリンス、プリンセスとして生きることを欲しておられるのです。

 神様は私たちを神の栄光の為に創られましたが、人は罪のためにそれを失っていました。しかし、イエス様は十字架をとうして人類の贖いをされました。その御身体をもって神の栄光を表されました。

 私は今、三つの事を言いました。
1.神の子らしく御霊に導かれて生きる。
2.時を生かした賢い生き方をする。
3.神の栄光を表す。 

これらの事は自分の力では出来ません。御霊の力によってのみ可能です。皆さんが御霊に導かれて生きる時、何が一番大切だと思いますか。私が思うに、自分自身の思いかた、心だと思います。愛されているのにそう思わない。イエス様が共におられるのに、おられると思わない。人から見ればとても恵まれているのに、不幸だと思っている。だから不幸なのです。
私たちは人を変える事は出来ません。しかし自分を変えようと願うなら、変わる事が出来ます。思いを変え、自分はイエス様に愛されていると思って、内におられる聖霊様を喜んで生きましょう。

私が知っているある一人の姉妹は、あまりにも不幸な悲惨な境遇の中で育った為、その後、愛情深い育ての親や恵まれた環境の中にいるのにもかかわらず、感謝もせず、不幸な過去を背負って暗く生きていました。ところがある日、突然、自分は聖霊様に愛されているのに、自分の態度は何だと、深く反省し悔い改めた結果、その時から、感謝と喜びにあふれ、顔つきが変わったそうです。本当に美しくなって、アメリカでミス○○に選ばれたそうです。

 愛されていると思うならそういう顔つきになり、人にも優しくなります。皆さんも愛されているのです。愛されている者らしく、告白して生きましょう。聖霊様を歓迎しましょう。私達は歓迎されると嬉しいですね。聖霊様も人格者です。喜ばれます。お互いに「愛されていますよ。」と言ってください。いつも側にいて守り、助け、愛して下さる聖霊様に「聖霊様、ありがとう!愛しています!喜んでいます。」と語ってください。人の選択がその人の道を変えます。いつも主の方を向く選択をし願い求めるなら、喜んで働いてくださいます。そして人を助け、人の喜ぶ、人の益となる生き方をしましょう。

2006年6月19日更新

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