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「祝福の生活が身についている」

- 2006年7月9日 -

水野明廣師

聖句:Tペテロ3:9

悪をもって悪に報いず、侮辱を持って侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐためにために召されたのだからです。」


 祝福の信仰が身についているという事は、御言葉を知っている、解っていると言うことではなく、御言葉が自分の身体の血となり、肉となっているという事です。ですから態度や、言葉にそれが表れ、謙遜さとして表れます。

 事がうまくいき、思うようになるときだけ、祝福されていると思うのではなく、御言葉は悪をされても、侮辱されても、祝福を与え継けなさい、祝福を受け継ぐ為に召されたのだから、と言います。この世にいる限り、いやな事は沢山有ります。いやな思いが心に入ります。しかし「私は祝福されている! 祝福を受け継ぐのだ!」と宣言してください。

 主は皆さんを祝福の民とされ、繁栄を喜ぶと言われました。親が子の祝福を願わない人がいるでしょうか。愛にあふれた天の父は「実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいにちを持つためである。」ヨハネ3:15と、言われるほどの方なのです。

 もし、皆さんが、祝福を受けてないと思われるなら、その思いの原因は大きく二つの理由があります。

 1つは、神様を誤解しているのです。 神は厳しい方だと。厳しい方ではなく、祝福の神なのです。ダビデは詩篇で「一生のあいだ良いもので満たしてくださる。」(103:5)とほめたたえています。たとえ、辛い苦しい事が起こったとしても、善いお方で、愛なる神様はそれをそのままにしておかれる方ではなく、全てのことを益とされるのです。
ホセア書4:6で神は惨めな人生を送っているイスラエル人に「あなたがたは、わたしを知らないので、こんなひどい事になっている」といわれました。神様がどれ程素晴らしい方かを知るなら、パウロのように「知った素晴らしさのゆえに、この世の全てのものは損と思いちりあくた、と思う。」(ピリピ3:8)と言うでしょう。

 2つめは、私たちのなかに主が祝福されるという信仰を壊す思いが働くのです。 
 過去の失敗の故に祝福されないのではないか・・・と。その思いは罪なのです。イエス様は十字架で全ての罪の贖いをされました。すべての人は祝福のなかに入れられたのです。恵みの中に生かされているのです。もし私達がこのような大きな愛を受けているのに人を赦さないなら、主の祝福の傘の外にいる事になります。悪にもって悪を、侮辱にもって侮辱を報いるのではなく祝福しなさいといわれます。自分の過去も、人の過去も赦し、自分も、人をも祝福して下さい。祝福しようとしないので呪いがくるのです。呪われても、迫害されても祝福して下さい。

 終わりに、主が語ってくださった お言葉をお分かちます。
 雅歌 2:15(私の愛する方〔イエス様〕が私〔水野〕に言われる)「『私たちのために、ぶどう畑を荒らす狐や子狐を捕らえておくれ。』私たちのぶどう畑は花盛りだから。」

 素晴らしい収穫の時が来ているのにそれを荒らすものがいると、主が語られたのです。「荒らす狐、子狐は何ですか?」と尋ねましたら、「つぶやき」だと言われました。イスラエルもつぶやきのために約束の地に入れませんでした。環境をつぶやき、人を責め、人の幸せを願わない、自分の事だけ。主は「祝福されたいのにできない。お前達の中に争いがあり、人の幸せを願わないではないか。あなたの隣人が困っている時手を貸さないではないか。」と。私たちの畑を荒らすのはつぶやきなのです。兄弟姉妹どうぞあなたの心を、あなたの家を荒らしまわっている子狐を放置しないで下さい。ぶどう園を荒らしまわって実が成らないようにさせないでください。私たちの愛する主が、こんな子狐を捕らえてくれといわれます。

2006年7月14日更新

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