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「主が赦されたように赦せる人」

- 2006年8月27日 -

水野明廣牧師

聖句:マルコ11:25、エペソ4:32〜5:1

 村仲先生の所で最後はお世話になりました。愛の方たちなので、居心地がよくずっといたい思いでした。また、ハワイで牧会されている中野雄一郎先生ともカナダでお出会いしました。先生は「日本人は日本にいると心が閉じこめられて、なかなかイエス様を信じにくいのですが、不思議と外へ行くと信じるんです。外国でイエス様を信じる事は日本にいて信じる人よりも多いんです。日本人が信じやすい外国ということを最大限に伝道者として使わせていただきたい」と言われていました。
村仲先生がおられるバンフの教会にホームページを見て、クリスチャンである奥様がまだ一度も教会に行ったことのない家族を誘ってこられました。雪どけ水の冷たい湖で洗礼を受け熱い涙を流される姿を見て、感動しておられました。イエス様を信じる方がいても、いろんな制約がない自由な教会の雰囲気を知った後、日本へ帰ると日本の教会ではいろんな束縛があってなかなか教会に結びつかない、という問題があると中野先生も言われてました。

私たちは大いに反省して、クリスチャンライフではどんな方も寛大に歓迎して、間違った制約や規則を押し付けないようにしましょう。人間の作る教団や教派の問題も早く克服できて、神の家族として互いに愛し合い、仕え合いたいものです。バンフの教会に来られた奥様は「教会ってこんなに明るく楽しんですか。」と驚いておられました。教会は本来、明るく楽しい所です。

さて、私たちが祝福を受け継いで経験していくために、このシリーズの中で最初に祝福の信仰を持ってほしいとお願いしました。イエス・キリストが十字架で、私たちの為に身代わりに死なれたのは我々が罪ののろい、刑罰を自分の身に受けることのないためです。

●「そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。」(ガラテヤ3:9)

祝福を受ける信仰を持って下さい。また、同時に祝福の言葉を使ってほしいのです。「私は主が愛しておられる。主の注目を浴びている。」というふうに、自分で自分を励まして下さい。他の人にもそんな言葉を掛けて下さい。神様に冷たくされている、忘れられていると感じる事がありますか。放蕩息子も「お父さんに嫌わられている、雇い人でいい。」と思って帰ると、お父さんは両手を開いて待っていました。これは父なる神が、どんなに私たちを愛しておられるのか、また赦して受け入れたいのかということを表わしています。祝福の言葉を使って下さい。特に他の人の徳を建てる言葉を使う事が大事です。

●「あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」(マタイ12:37)

村仲先生と最後にゴルフをし、とても楽しい時を過ごしました。「カナダの人はゴルフをよくされるのでお友達を作る為にも行って下さい。」と勧めました。村仲先生がゴルフをされない理由があります。ある人が、ゴルフをしている時に「ゴルフなんかやってて。」という言葉を与えたのです。みなさん、そういう事がありますか?私たちは案外、自由に生きていません。ルカ4:18に「捕われ人には赦免を」とあります。赦免は、ある所では罪を赦す、また解放する、自由にするとギリシャ語では同じ言葉です。イエス・キリストは、私たちを愛する為に、赦す為に、来てくださいました。「人の子が来たのは、自由を得させるためです。」とある通りです。また日本語は、赦すとは緩めるという言葉からきています。赦すというのは、縛っていたものを緩めて解いてしまうことです。罪は私たちを縛りつけます。罪は牢獄に入っているというより、魂を縛ってしまいます。人が言った言葉によって、自分の心が痛い思いをします。しかしその人を本当に赦していると、自由になります。その人を赦さないと、自分を縛ることになります。少し厳しいですが、赦さないことは罪です。御言葉は「赦しなさい。」です。私たちは人の言葉によって、行動してしまいます。村仲先生も、人の言葉によってゴルフをしなくなりました。ゴルフは罪ですか?・・・じゃないと思います。でも、その会話の中で、することに後ろめたさを感じてできなくなってしまったのです。
マタイ18:23−35の1万タラント(1タラントは20年間働いたお金。)の借金は、天文学的な数字でとても返せる額ではありません。しかし、主人が寛大な人で返さなくていいと赦してくれました。赦されるって嬉しいことです。ホッとしますし、自分自身が解放されます。神様の赦しを受けるということは、最高の特権です。誰も払い得ない罪をイエス様の十字架で赦されました。20年の一万倍を働かないとどうにもならない借金を赦された人に、100デナリ(100日分の給料)を借金していた人がいました。「待ってください。返します。」と言ったのに、待てないと牢獄に入れてしまいます。それを聞いた主人は、「どうして赦さないの。」と怒りました。

●「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:32)

ギリシャ語で、赦すという言葉は「するままにさせる」ということです。私たちは父なる神様から一方的に赦されています。苦しく、痛い目にあったことも、神様はご存知です。イエス様の十字架を無駄にしないでほしいと願っています。十字架のゆえに、私たちは赦され、絶対に祝福を受けるのです。そのために、イエス様が赦されたように聖霊様の助けによって、赦していきましょう。赦さないことは、自分を一番苦しめます。牧会生活の中で、医学的な問題で病んでいると思っていたことも、赦しの祈りをして、癒されるという経験をしました。イエス様も、マタイ9:2で「あなたの罪は赦された。」と言われています。

イエス様が赦しにこだわられる理由

@私たちが自由人として生きるため。
何の束縛も自分も受けないし、相手にも与えない。イエス・キリストが来られたのは、私たちを自由にするためです。一番の自由は秋の空のように心がスカッと晴れてることです。過去に縛られず、パウロ先生も、「後ろのことを忘れ、前に向かって」(ピリピ3:15)「今は恵みのとき」(Uコリント6:2)と言われてます。今しか生きれません。今が恵みのとき、今は、神との平和をいただいてるのです。

A祈りがこたえられるため。
マルコ11:24「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」のすぐ後、25節で、「立って祈るなら、赦しなさい。」と言われています。心の中で誰かを縛らないようにしてください。赦さないと自分が縛られ、不幸を刈り取ります。赦すことがむずかしいことは知っています。しかし、聖霊様が助けてくださいます。

B神の約束の祝福を経験していくため。

神はどうしても神の子どもたちにイエス様のように生きてほしいと願っておられます。イエス様は最後の最後まで、「父よ彼らを赦してください。」と赦しを祈られました。赦しの中を歩んでください。

私たちは愛されるために生まれ、愛するためにいきるものです。愛することは、赦し続けることです。緩めて、解いて、あなたの型を取り外してください。解放してあげてください。そんなことをしたら、不義がはびこる?「復讐はわたしがする。主はその民をさばかれる。」(ヘブル10:30)私たちがさばくより、主の手にゆだねていけたら幸いです。赦しを私の生涯の生き方として捕らえようとする人に聖霊様がはたらかれます。聖霊様が慰め、助けてくださいます。主の方を向いてください。豊かな実がなっていきます。

2006年8月31日更新

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