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「主の宮、主の家が大切なわけは」

- 2006年9月10日 -

水野明廣牧師

聖句:詩篇11:4

 今日は、主の家で礼拝を捧げる事はなぜ大切なのか、という事をお話したいと思います。多くの方は知って礼拝を捧げておられると思いますが、知らないで礼拝しておられる方もあるのではないでしょうか。しかし、その意味を知って礼拝する時、受ける祝福は大きいのです。礼拝することは非常に大きな意義があります。
御言葉を通してお話します。

1.詩篇11:4 
「主は、その星座が宮にあり、主は、その王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。」

 大きな天体も、目に見えない小さな世界も主の法則の中で動いています。そしてこれらの世界をつかさどっておられるお方が一番注目してされるのが教会なのです。エペソ1:23に「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」とあります。天が王座である、お方が教会におられると言われるのです。そして「この教会をとおして、今天にある支配と権威とに対して、神の豊かな知恵が示される。」(エペソ3:10)とパウロ言っています。凄いことです。ダビデはこの主の宮に行くことを非常に喜びました。  

2.詩篇18:6 
「私は苦しみの中で主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。」

教会は本来祈りの家と呼ばれます。このクリスチャンライフの教会が守られ祝されているのは、教会で祈ってくださる方々がおられるからです。どこで祈っても神様は聞いてくださいます。けれど、もし皆さんに何か特別な課題が出ましたら教会に来て祈ってください。それは祈りの宮として聖別されているからです。

3.詩篇27:4 
「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私の命の日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で思いにふける、そのために。」

ダビデは主の宮にいることを、また礼拝することを重んじました。なぜなら主の教会は主の眼差しそのものであるからです。

●詩篇63:2「私はあなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。」
●詩篇96:6「尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。」

 過去のリバイバルを見るとき、それは教会で起きています。今の時代もそうです。トロントのリバイバルも、ペンサコーラも圧倒的な主のご臨在が教会に現れました。どこにでも主の力は現れるでしょう。しかし、ダビデは「主の力と光栄は主の聖所にある。」と言います。私たちの賛美はただ主にのみ捧げられるべきです。

●詩篇22:3「あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられる。」

 賛美を受けるにふさわしい方に向かって全員が心を一つにして歌うなら主の力が与えられます。礼拝という言葉は主を褒め称える、愛する、という言葉から生まれました。主の宮に集い主を褒め称えましょう。

4.詩篇64:4 
「幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住む その人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。」

 天の父に選ばれ、近寄せられるということはどれほど素晴らしいことであるか、考えたことがありますか。その素晴らしさを知って皆さんが感動して礼拝を捧げるなら、そこには素晴らしいみ力が現れます。いつも、いつも善いもので満たした下さるお方を褒め称えましょう。

5.詩篇73:17 
「私は、神の聖所にはいり、ついに、彼らの最後を悟った。」

 礼拝のために教会に集うことは、そこで御言葉の説き証があり神様の素晴らしさを知り、神様の見方、神様の思い、神様の道、神様の言葉を通して神様の価値観が私たちに伝えられるからです。人は生きる限り様々な試練に会います。善人が苦しみ、悪人が安らかであるとき「どうして?」という疑問がわきます。しかし神の聖所で神は示されます。礼拝の時示され決心したことはもっとも正しいのです。

6.詩篇84:4
「なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。」

 主の宮を住まいとして奉仕するレビ人だけでなく、主の宮に出入りするすべての人々をも含め、主の宮に集まって主をほめたたえる事は幸いなのです。主をあがめほめたたえる歌をうたうのです。そして救われた私たちはそれぞれつかわされたところに出て行って、主の素晴らしさを証しするのです。そのような人こそ幸せな人です。

7.詩篇118:26 
「主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなた方を祝福した。」

 祝福も主の御座から流れるのです。祝福をいただいた私たちは祝福の基となり滅びに行く人々のためにとりなしましょう。主の御名によって来る人、とは元来「神によって選ばれた信仰者」のことですが、今の時、イエス・キリストの十字架の贖いを信じている人のことです。私たちが集まる時、主の御名によって集まるのです。御名によって集まる時、主もそこにいると言われました。
 私たちは天の父に、とても愛されています。選ばれ、招かれ、祝福を与えられ、永遠の命を与えられ善いもので満たしてくださった主をほめたたえていきましょう。
 

2006年9月12日更新

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