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「ネクスト・ジェネレーション(新しい時代)」

- 2006年10月22日 -

大矢頭牧師

聖句:箴言29:18,使徒16:6-10

 私たちは一つの時代に生きています。その時代は私たちにとって良くても悪くても変わっていきます。それは人生だけでなく信仰もです。宗教改革を行ったマルチン・ルターの時代(16世紀)も、新しい文化が生まれ、教会の中にもいろんな流れが入ってきてもう少し新しく、良く変わったほうが良いんではという雰囲気がありました。マルチン・ルターが宗教改革を成功させることができたのは、ルターの中に「改革」という考えがなかったからです。教会の歴史の中でルターは「従順な反逆者」と呼ばれています。彼はカトリック教会にずっと仕え、その信仰を持っていました。しかし、ある時、聖書に書かれていることとカトリック教会が違うことをに気づきました。指導者たちに聖書の言う信仰とは、救いとは、と一つづつ訴えていきました。彼はあくまで自分の置かれている教会を愛して、教会が刷新され、立ち直っていき、御言葉にかなった教会になることを願う従順なクリスチャンでした。最終的に彼は破門されてしまいますが、彼と一緒に破門された人たちを養い、牧会することになりルーテル教会ができたわけです。
このように教会は新しくされなくてはいけないけれど、人間の攻撃的な方法や改革的な思想では新しくされません。そこにとどまり、愛していく人の力によって新しくされます。今日、集まっているみなさんに神様は新しい時代を担ってほしいと願っておられます。神様のされる新しいことは、全く変わって違うものになってしまうものではなく、変わっていく中に古いものと新しいものがうまく組み合わされ良くなっていくことです。それはみなさんの人生そのもので、クリスチャンとして歩む人生そのものが新しくされていくことです。古いものが全く新しくされる部分もありますが、いつも古いものを全部捨て去るのではなくて、古いものが新しくされるのであって、神様が日々与えてくださる良いものは私たちのうちに根ざして、積み上げられていきます。(参照Uコリント5:17)
聖書にぶどう酒のたとえがあります。(ルカ5:36-39)39節に「また、だれでも古いぶどう酒を飲んから、新しい物を望みはしません。『古い物は良い。』と言うのです。」とあるように、全部が全部新しいことが良いのではなく、古いものも味わいがあって良いのです。古いものにずっととどまるのではなく、その中で新しくされなければならない部分がある、これが神様の新しくされるということです。新しいステップに入っていくために大切なことをお分かちします。

●「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。」(箴言29:18)

幻と律法という言葉があります。旧約聖書で言う幻とは、聖霊様に満たされたときに受ける霊的な啓示(参照使徒10:9-16)、神様の啓示の言葉、預言的な言葉、また、教会などに対し持っておられる神様の計画です。私たちが健全なクリスチャン生活を送っていくためには、神様からの強い具体的な啓示がどうしても必要です。旧約聖書には預言者が出てきて、神様の願っておられること、語られたこと(幻)などを人々に伝えていました。
でないと、人間は神様のことを忘れてしまい、好き勝手に生きて、いつか神様から離れてしまうからです。幻が必要なのです。でも、ある時には預言者が自分の周りにいないことがあります。イエス様が来られるまで預言者のいない時代が続くので、旧約聖書の最後の預言の書であるマラキ4:4には「あなたがたは、わたしのしもべモーセの律法を記憶せよ。」と書かれています。私たちの日常生活においても、寝ても覚めても、いつもいつも、幻が与えられるわけではありません。
だから、日常生活の中でしっかり御言葉に歩むことが大切です。信仰生活はある時は御言葉で十分です。しかし、ある時は幻が必要です。幻がなければ私たちは新しい時代に入れないからです。毎日、忠実に御言葉に歩み、祈り、賛美し、礼拝することは、神様の前に正しいことですが、私たちの信仰生活は天におられる神様に向かっているので、時には高く上がらなければいけません。新しいステップに上がる時を神様が教えたい時、用いられるのが幻です。
また、神様の私たちの人生に、教会に対する計画を教えるのも幻です。ですから、人生を送っていく時に大切なことは、第一に忠実に日々御言葉に歩む、祈りに励む、賛美をし礼拝を守ることです。これを続けるうちに神様はみなさんを祝福するために、成長させるために、新しいステップをおかれます。それを気づかせるのが幻です。

使徒の働きは、教会の、クリスチャンの成長のストーリーです。聖霊様とともに歩んだ人たちがいつも聖書を開き、祈り、神をほめたたえていました。今の私たちと変わりません。違うのは、幻です。この時代、神様は次のステップに行く時を、必ず幻で教えておられました。それまでは、いつも祈り、教えていた、神をほめたたえていた、と書いてあります。(使徒2:42,6:42) 
ステパノが幻を見た時(使徒7:55,56)から、福音は外へ広がっていきました。(使徒8:1) パウロも礼拝している時、幻がありバルナバとともに遣わされました。(使徒13:2,3) その結果、これまで福音の伝えられなかった地域に福音は広がっていきました。パウロはたくさんの神様からの幻によって遣わされ、福音を伝えていきました。(使徒16:6-10,18:9-11) 船が遭難した時も幻を見て、みな無事でした。(使徒27:22-44) そして、皇帝にまで福音を伝えるところにまで神様は道を開かれました。私たちも新しいところに入っていくために、忠実な信仰生活に加えて幻を求める必要があります。

幻はスローガンではありません。教会は頑張ってこうしましょうというスローガンでは動きません。「豊かな収穫の年」という言葉を与えられている時間の中でスローガンではなく、幻とするとき、これを受け取っていくことができます。私の人生の中に豊かな収穫が来ると信じ、一歩上がってみてください。収穫を見ます。収穫を味わいながら次の2007年の新しい幻をくださいます。時には個人的に与えてもくださいます。でも、一方で教会というキリストのからだに与えられる幻は大きな力があります。教会は私たちの人生すべてを捧げたときに神の力、流れを受け取っていく大切な管です。教会は集まってくる人々の組み合わされた姿です。ここに神様は大きな計画をもっておられ、それは教会という組織のためではなく、皆さんの人生のためです。新しい心で幻を受け取ってください。新しい思いで幻が与えられることを願ってみてください。日々の忠実な歩みの中で「こっちを向いて」という石を投げられるような幻を味わってみてください。絶えず成長し、前進し、新しい神様の時代を生きていってください。

2006年10月29日更新

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