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「聖別を大切にする」

- 2006年11月5日 -

水野 明廣 師

聖句:ダニエル書1:8

 ダニエルと他三人は捕虜として連れて来られました。彼等は将来を夢見てよく学び将来のために備えていたのかもしれません。しかし、少年達の夢を打ち破られるような恐ろしい事がこの国に起きてしまいます。私たちの人生の中には、どうにもならないような悲劇が、手に負えないような苦しい事が起きてしまいます。世の中に生きていると、自分の責任ではないのにどうしてこんな酷い事が起きてしまうんだという事があります。ダニエルを通して学ぶ事ができます。ダニエル書に書かれている2つの大切な目的がありますので、分かち合います。最も大切な教訓の一つは、

●クリスチャンは、過去には絶対に捕らえられてはいけない。
“うしろのものを忘れ、ひたむきに前に向かって進み。”(ピリピ3:13)
「過去に縛られて自分はこうなりました。」と言う事は、主が喜ばれないことです。ダニエルは、努力して、体も鍛え、よく学び、心身ともに守ってきました。しかし捕虜となり、王の側に仕える者として選ばれました。選ばれたといっても喜ばしいことではなかったのです。それは宦官としてだったからです。

●クリスチャン生活とは、今を大事にする。
ダニエル書の中では「今」を聖く生きる事を教えています。今、聖い道を選んで下さい。皆さん、どんなに頑張っても過去には戻れません。どんなに才能があっても明日はあなたのものではないんです。クリスチャンは今を生きます。今、恵みの時を生きているのです。過去は全て主の御手の中に委ねます。過去に縛られるのではなく、過去にどんな悲惨な事があったとしても、今、私は主に対して聖い生活を生きることに徹します。皆さんがこの決心をされましたら人生変わります。聖い者は、神を知る事が出来るからです。聖いということは、神の御用に役立つ事に用いられます。(Uテモテ2:21)神は聖い者が欲しい。(テトス2:14)神の御心は聖くなることです。(Tテサロニケ4:3)

バビロニアは偶像の国です。ダニエルはその中で、偶像にささげたもので身を汚したくないと心に定めました。そして宦官の長に、身を汚さないようにさせてと願い、へりくだって頼みました。聖さはどこから始まるのでしょうか?罪はどこから始まったのでしょうか?サタンはエバを誘惑した時に、木の実を食べさせました。またサタンはイエス様に石がパンになるように命じなさいと言って誘惑しようとしました。罪は甘く、心地良く、快楽があります。

クリスチャン生活は本来楽しいものです。主の前には喜び、主の右には楽しみがあります。(詩篇16:11)身を汚したくないと決心したダニエルは、そんなクリスチャン生活の証しです。王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも顔色は良く。からだも肥えていた。(ダニエル1:15)皆さん、まとわりつくという罪の性質を忘れないで下さい。それでも身を聖めたい、聖い者として守りたいというダニエルの決心を皆さんも持ってください。これは、皆さんの努力では出来ません。御霊によって聖められ、(ローマ15:16)御言葉によって洗われ、(ヨハネ17:17)御言葉が罪から守ります。(詩篇119篇)ダニエルは聖さを選んだので、素晴らしい聖霊様の能力を与えられました。皆さん、どうぞ、聖さを追い求め下さい。聖さを大事にしてください。神様が人生の豊かな収穫を一方的に得させて下さる人生となると思います。アーメン。

2006年11月7日更新

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