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「主にだけ仕える信仰の重要性」

- 2006年11月26日 -

水野 明廣 師

聖句:ダニエル3:1-28

 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴという3人のユダヤ人の青年が、私たちの信じるイエス・キリストだけを礼拝するということを徹底したということでよく知られている箇所です。昨日の結婚式で、ご主人と奥様が誓約をされました。とても美しい光景であり、大切なことだと思います。夫婦が愛し合い、その愛が深まること、これに勝る麗しいことはありません。パウロは神様を宣べ伝え、イエス様を信じた人たちに「あなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。」(Uテサロニケ1:3)とこれが一番嬉しいことだと言っています。

先日、ある外国人のために結婚カウンセリングをしましたが、そこでもお2人に妻のみを、夫のみを大切にし愛し続けて欲しいとお話しました。実は、クリスチャン生活の中でこの夫婦の形は、神様と私たち教会、クリスチャンの関係を指しています。イザヤ54:5には「あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主」とあります。家庭、夫婦がしっかりしていることは人類の最も健全な姿の礎です。

私たちは、今日、自殺、教育など多くの社会問題に悩まされています。しかし、本質的な問題は神を知らないことだと聖書は言っています。「わが民は無知のために捕え移される。」(イザヤ5:13) つまり、クリスチャンでありながら無知の為に何かに捕らえられた生活をしている、と預言者イザヤは言っています。イエス様の御言葉は

●「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:31:32)
●「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10:10)
●「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」(ガラテヤ5:1)


 イエス様はこのように命がけで私たちを愛していてくださっています。パウロは主がどんなに愛してくださるか知るならば、神の満ち満ちたさまにまで満たされる(エペソ3:19)、また、パウロはイエス様があまりに素晴らしいので今まで欲しかったもの、あったら良いと思ってたものが全部塵、屑、糞のようで捨ててしまいたいものになったと言っています。
人間の愛でも、あの人だけ好きというと手がつけられません。私もイエス様と恋におちて、イエス様の素晴らしさに感動して、嬉しくて3日も食べられない経験をしました。恋をするのと同じ原則です。みなさんが豊かな人生を送って行くために、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴのような主への信仰に徹する重要性を私たちに教えるために、主はこの御言葉をくださってると信じます。

今、自殺、汚職の問題の方策を論じ合っていますが、もし、私たち夫婦が本当に愛し合っていたら事は変わっていきます。夫婦が、人間同士が愛し合うためにまず、主なる神様と私たちの関係がきちんとなってないといけません。私たちの人生の中でひたむきにイエス様に信頼すること、ついていくことを主は願われます。

●「そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。」(ヤコブ1:8)
●「二心の人たち。心を清くしなさい。」(ヤコブ4:8)


 神様は二つの心に揺れ動くことに関して、悲しみを感じておられます。主なる神様は私たちに夫婦関係のような親密な関係を求めておられます。私たちの人生の中で、ヨブに対してサタンが挑戦したように、イエス様だけを主とし続ける信仰を奪い取るものが働いています。さまざまな試練があっても、やっぱり、主を信じていきましょう。

●「『私は大いに悩んだ。』と言ったときも、私は信じた。」(詩篇116:10)

パウロは若いテモテに「信仰の戦いを勇敢に戦い」(Tテモテ6:12)と言っています。祈りやすい、信じやすい、礼拝に来やすいからではないんです。祈り続けること、主に信頼し続けることです。ヨブは友達との論争の中で、「神が私を殺しても、私は神を待ち望み」(ヨブ13:15)と言っています。
みなさん、私たちの願いがかなうこと・・・・それも幸せです。しかし、ここで、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの人生を考えてみてください。すべてを失って外国に連れて行かれ事務の仕事をさせられていました。そんな中で、ネブカデネザルは金の像を拝めという不思議な命令を出します。金の像は私たちの現代の生活に当てはめるならば、富、人間の力や権威を象徴する言葉だと思います。特に、お金です。たくさんの人たちがお金に心を動かされ、悩まされています。気づかないうちに神様よりも世の心遣いが心を占めてしまっています。パウロは「彼らの思いは地上のことだけです。」(ピリピ3:19)と言っています。

地上だけがすべてではありません。私たちには永遠の神の御国が待っています。また、慕わしいものを持っている人に対して引け目を感じるなら、拝んでいるものの歪んだ現われです。直接、拝まなくても世のなかの富や力に左右されているのです。神様が一番喜ばれるのは、「金も銀もわたしのもの」(ハガイ2:8)と言われる、造り主なる主なる神をどんなことがあろうと信頼し礼拝することです。

十戒の2番目の「偶像を造ってはならない」は、目で見える神社や仏閣だけではありません。神様より大切なものがあったとしたらそれが偶像です。主なる神は私たちの夫です。ですから私たちはイエス様を愛し、信頼し続けます。夫婦関係と同じです。私たちが命がけで私たちを愛してくださったイエス様だけをわたしの神として信仰をもって崇めていこうという姿勢を続けて守っていく時、確かな収穫を得ます。

もし、みなさんが過ちを犯したなら「私は他のものに夢中になりました。ごめんなさい。」と一刻も早く帰ってくることです。主は赦しに早いお方です。ある日、姦淫の現場で捕まえられた女に対してイエス様は「今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ8:11)と言われたことは私たちにも言われています。イエス様は本当に私たちを愛しておられます。ヨシュアは「あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア24:15)と言っています。これは私の決断が私の人生を決めると示唆した言葉です。状況が自分にとって良い時ばかりじゃなくて、突然ヨブのようにひとりになっても、病いになっても「それでも私は主に期待しています。礼拝します。」と言えるなら幸いです。「神にはできます。全能の神だから。いや、たとえ神様がこの危機から救われないとしても私は主を信じます。」この信仰を持たれるようにお勧めします。主はみなさんを主の約束された豊かな地に、広いところに導かれると信じています。主は愛するものを格別に守られると教えられています。主にだけ信頼する重要性をこのシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを通して相続したいのです。私たちの願いや思いを遙かに越えて素晴らしいご計画で事を成しておられることも、信じていこうではありませんか。神様の最善を信じて、それでも私はなお、主を信じて従い続けます。

2006年12月1日更新

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