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「主への祈りと感謝の生活」

- 2006年12月3日 -

水野 明廣 師

聖句:ダニエル6:7-23

 私たちクリスチャンが持っている最大の力は何でしょうか?クリスチャンの持っている最大の力は祈りです。祈りはまさに神様のエネルギーと力をこの地上にもたらすものです。
もうすぐクリスマスですね。ルカ2:36〜38には、ハンナがいつも宮でメシヤが来られるのを祈っていた事が書かれています。私はもし彼女が祈らなかったらキリストは来られたのか?と考えてしまいます。Tサムエル記1章には、サムエルの母ハンナの祈りが無ければサムエルは生まれたのだろうか?‥‥もうお分かりですね。

 捕虜として連れて来られた少年ダニエルは、酷い仕打ちをされ、そのような状況の中でも怒り、無気力、むなしさにとらわれず、仕返しする事もしませんでした。皆さん、自分の思いがかなわないという事はどんな気持ちになるでしょうか。自分の身を汚したくないというひたむきなダニエルは、どのような少年だったのでしょうか。彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた・・・・とあります。(6:10)

 彼は夢を解き明かす能力、神の知識の賜物、知恵の賜物を持っていました。それは神様の前に罪を犯す事は出来ないと強く思っていたから与えられたのだと思います。ですから王からも一目置かれていました。帝国が変わっても、王が変わってもダニエルは注目されていました。彼は年老いても優れた霊を持っていると評判の人でした。捕虜として連れて来られたわけですから、プライバシーがなかったかもしれません。皆に見られていました。
ここで一番大切な教訓があります。イエス様も祈りの人であったという事を忘れないで下さい。洗礼を受けた後、祈っておられました。天が開かれて、聖霊が働かれました。神御自身が人となって来られたイエス様は、父なる神様のなさる事をし、父なる神様のおっしゃっている事を語りました。イエス様はいつも祈っていたからです。パウロも絶えず祈りなさいと言いました。(Tテサロニケ5:17)それはいつも主に心を向ける事です。何をするにも主に対してして下さい。(コロサイ3:23)これはいつも祈っている人の姿勢です。

 ダニエルはいつものように祈っていました。いつものようにあなたが祈ると何か良い事が起きてきます。しかしそれを起こさせない勢力も働いています。イエス様は、私たちクリスチャンを世の光、地の塩とおっしゃいました。祈りとは、私たちがその光を外に灯すことです。地の塩としての味を発揮する事です。でも、もし皆さんが、教会に来ているけど祈りをしない人であったなら、皆さんの光は灯されていません。味の無い塩のようなつまらない人生です。

 主は求めなさいとはっきりおっしゃいました。捜しなさいとおっしゃいました。祈りとは、私は主に頼っていなくては、私という存在は天と地を造られた私の本当のお父さんであるお方に頼らなければいけない・・・という、主により頼むという姿です。そして、祈りとは、本当の謙遜の証明です。本当にへりくだっているのなら祈らないでは日を過ごせないでしょう。祈りは命です。(詩篇42:8)私たちはだんだん親から離れていく事が成長といわれてきました。このような社会に生きていて、神様に拠りすがるという素晴らしい私たちのあるべき姿を失ってしまいがちです。

 祈ると聖霊様はもっと働かれます。聖さを追い求めたら聖霊様はもっと自由に働かれます。これほど力強い人生はありません。主は私たちの内に働かれる聖霊の力で、願いや思いをはるかに超えて働かれます。でも忘れないで頂きたいのは、祈らせないようにする勢力が色々な形で働いている事です。ひょっとしたらそれは「安心」かもしれません。祈らずにやっていけるというのは危険です。もし兄弟姉妹の中で、危険がないといって祈りの炎が消されていたら、今日から祈らせて下さいと祈って下さい。一日主に3回は向いて下さい。そして、「いつものように」主に向いていると言われる者になりますように。

 それから、感謝にも力があります。ダニエルは酷い状況の中、いつも祈り、感謝していました。だから、優れた霊と能力が与えられたの田と思います。主は働いておられます。皆さんの人生が祝福されますように。皆さんの学力は関係ありません。生い立ちも関係ありません。家柄も関係ありません。イエス様に関係する事は、あなたが祈る人かどうかです。もっともっと主に心向ける者とならせていただきましょう。

2006年12月6日更新

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