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「主への祈りと感謝の生活」

- 2006年12月10日 -

水野 明廣 師

聖句:ダニエル6:10

 ダニエル書の6章までに記されている、ダニエルにまつわる幾つかの出来事を簡単に説明します。

 ユダ王国がバビロニア帝国に滅ぼされた時、ダニエルは他の3人と共にバビロンに連れて行かれたが、その時ダニエルはまだ少年だった。彼はバビロンで貴族の子弟の一人として、他の若者たちと共に官吏となる訓練を受けるために選ばれた。そして神はダニエルに特別に、夢を解き明かす力を与えられた。

 また、ネブカデネザルがバビロンの王の時、王の見た夢と解き明かしをするよう命じたが、誰も出来なかった。しかし、ダニエルが王の見た夢と解き明かしをしたので、王はダニエルの信じる神はまことの神であることを認め、ダニエルを高い位につけ、バビロン全州を治めさせた。息子のベルシャツァル王の時、宴会の席上で、宮殿の壁に不思議な文字が書かれ、ダニエルの解き明かしどうり、その夜、ベルシャツァルは殺され、王国はメディヤ人ダリヨスの手に渡された。ダリヨスはダニエルが他の大臣や太守よりも、きわだってすぐれているのを知って、彼に全国を治めさせようと思った。ところが大臣や太守たちはそれを快く思わず、ダニエルが毎日、日に三度、神に祈りをささげているのを知って、ダニエルを訴える口実にしようと、「今から三十日間、王以外いかなる神にも人にも、祈願するものは誰でも獅子の穴に投げ込まれる。」という禁令を制定し発布した。

 ダニエルはいつも通り祈れば、獅子の穴に投げ込まれ喰われると知っても、祈りをやめなかった。ダニエルをおとしめようとやって来た大臣たちはそれを見て王に訴えたため、やむを得ず王は 憂えつつもダニエルを獅子の穴に投げ込ませた。しかし、神は御使いを送り、獅子の口をふさいでダニエルを守られた。

 すばらしい話ではありませんか。皆さんも懲りずに飽きずに祈りの人となってください。祈りの人として有名になってください。そして感謝することを忘れないで、いつも主に感謝してください。ダニエルはつぶやく事をせず、感謝した人だと思います。

 感謝することにどんな意味があるか、今日皆さんにぜひ知って欲しい三つをお話します。

1.主に感謝という言葉を新共同訳では主に賛美すると訳してあります。

 礼拝する、賛美するという生活の土台は感謝なのです。ですから、主に感謝し、賛美して主をしたい、主を愛するというかたちで本来の礼拝は向かっていくのです。ダビデも詩篇100篇で感謝しつつ主の門に入っていきなさいと言っています。

●「感謝のいけにえをささげる人は、主をあがめることなのです。」詩篇50:23

2.感謝するということは主に信頼するということです。

 たとえ事情がどうであれ、そこに神の御手があるからです。神は私たちを根本治療されたいのです。神がされることは最善です。ですから、すべてのことについて(条件なしに)感謝しなさいと言われました。喜びと感謝はクリスチャン生活の特徴なのです。祈りは生活のすべての中に織り込まれ事あるごとに捧げられるべきものです。

 私自身あまりにも色々ないやな事が立て続けに起き、水も飲まない断食をした時、7日目に「感謝しなさい」というお言葉を頂きました。そしてその時自分の心を見せられ、いかに心の中が不満、苦々しさ、裁きに満たされてつぶやいていたかを知ったのです。感謝するということを、頭ではなく、霊で悟らされました。

 ですから私はあなた方に言いたいのです。人があなたの事をどの様に言おうと気にかけないでください。それよりも、自分は自分をどう思っているかの方が大切です。しかし、一番大切なのは、神様はどう思っておられるかが大切なのです。もし人があなたの意思に反して、足を縛ったり、手を縛ったり体を縛ったり、また動かしたりしたらどうですか。当然させまいとします。ところがクリスチャンでありながら、多くの人は、人の言った言葉によって心を自分で縛るのです。手一本、他人に勝手に動かされたくないのなら、自分の魂を人の言葉に任せないでください。その言葉に縛られないでください。ほめ言葉であろうと、ののしりであろうと、責める言葉であっても。私たちは主が何と言っておられるかに注目したら良いのです。

 主は命さえも捨てて私たちを愛して下さっのです。パウロはその事を知ったのです。ですから「広さ、長さ、高さ、深さ全てにおいて人知をはるかに超えた愛で愛してくださったことをあなた方が知るならば、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、満たされる」と言ったのです。(エペソ3:18−19)

 感謝は、主が下さる思いと、御霊の思いを持つ時に出てくるのです。私たちの主は私たちに良いことしかなさいません。信じて感謝してください。イスラエル人はエジプトから解放されたのになぜ滅びたのですか。奴隷生活から解放され体は自由でした。しかし、心はエジプト時代からの奴隷根性を引きずり、つぶやき、にがにがしさ、不平不満に縛られて結局一世代目は荒野で滅びてしまいました。

 感謝は私たちが主に従いますという証です。どうぞ「ありがとう。」「感謝します。」が口癖になりますように。苦々しさや、裁き、苛立ちなどが心に来たらそれをそのままにしないで即座にイエス様の下に持って行き悔い改め、「感謝します。」と叫んでください。

3.マルコの福音書の8:14−21で言われているパリサイ人と、ヘロデのパン種とは、偽善的な生き方、世俗主義です。

 皆さんお解かりですね。16節で、パンを一つしか持ってこなかった事で議論を始めた弟子たちにイエス様はなぜ悟らないかと言われました。イエス様がわずかのパンを祝福され感謝された時多くの人に与える事が出来た事を。

 ダニエルのように、祈りと感謝、祈りと感謝を朝に、昼に、夕にささげるなら、慈しみと恵み祝福があなたがたを追ってきます。感謝はあなたの生涯に神の奇跡、神のすばらしい収穫をもたらします。主の皆さんのための計画は良いものなのです。将来と希望を与えてくださるものです。

 皆さんが祈りの人、感謝の人という評判をもたれますように。 

2006年12月17日更新

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