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「クリスマスは素晴らしい喜びの日」

- 2006年12月24日 -

水野 明廣 師

聖句:マタイ2:1-11 , ルカ2:8-12

 

 ルカ2:8-12、マタイ2:1-11で共通した内容は、救い主イエス・キリストがお生まれになったことです。キリストが来られたことによってマタイによる福音書には他の聖書にない特長ある言葉があります。「この上ない喜び」という言葉です。ルカによる福音書には、主の栄光が回りを照らし、羊飼いたちは御使いたちの栄光の輝きを初めて経験し恐れました。すると、「恐れないでいいよ。大きな喜び(Great Joy )を持ってきたんだよ。」と御使いが直接メッセージをくれました。聖書にはすべてのクリスチャンに仕える御使いがいると書いてあります。(ヘブル1:14) イエス様も試練の時に御使いが来て助けたとありますし、ペテロを牢獄から助けたのも御使いです。

 一方的に御使いが来て「大きな喜びがきたよ。」と聞いてので、羊飼いたちは「本当かどうか見に行こう。」って行ったら本当でした。同じ頃、遙か彼方の東の国の博士たちは、救い主がお生まれになったことを知らせる天の星に導かれて、2年近くも・・・・少なくても1年はかかり・・・・かなりの距離を旅してきました。ヘロデは拝みに行くと行っていますが、自分以外に王が生まれては心穏やかではありません。王であり続けるために、ベツレヘムの2歳以下の子供を全部殺してしまいます。悲劇的な出来事です。

 今日はこれから申し上げるいくつかのことを是非覚えておいてください。羊飼いたちは様子を見に来ましたが、この博士たちは拝みに来たのです。救い主を拝むということを、聖書は博士たちという言葉を使って非常に賢い優れた行動だということを教えています。イエス・キリストが公の働きをされるときに、罪の勢力、サタンの勢力が私を拝めと言いました。でも、イエス様は「天地を造られた創造の神以外を拝んではいけない。」と言われます。私たちはどんなに素晴らしいものでも、造られたものを拝んではいけません。すべてのものを造られた神、主を拝みなさい。皆さんに知っておいていただきたいのは、私たちが礼拝をすることはイエス様の誕生日からすでに教えられているのです。東方から来た博士たち、賢い人たち、この言葉から、礼拝をするということは神様にとっては、人が一番あるべき姿をもって神の前に生きているということ、神様が一番喜ばれる行為をしていることを教えておられます。日曜日の朝、神の国とその義とを求めなさい。つまり、毎日曜日、週の初めに、主なる神を礼拝することは賢いことだよと主は教えておられます。

 礼拝のためにこの博士たちのように、時には距離、時間の問題もあります。でも、私たちは礼拝することは賢い行動のために、時間をかける、距離を越えなければならないことを示唆しています。もう一つは、ヘロデや人々が恐れたとあります。それは、今までの秩序とは違う神の国が入ってきたからです。人間の考え、思想だけで生きていこうとする人中心の社会に神様が入ってこられました。人として創造の神が来られたのです。イエス・キリストは王の王、主の主です。ヘロデは自分の治めている国なのに、私以外に王があろうかと思いました。この世のサタンは、聖書ではこの世の君と書かれています。サタンは罪の勢力です。イエス様は盗むもの、悪い霊が働いてると言われています。このサタンは礼拝することを一番恐れています。毎日の生活の中で、「私の主は素晴らしい。イエス様は、私の力、喜び。イエス様が私を愛しておられます。私もイエス様を愛します。私はイエス様のおかげで永遠のいのちを持っている。」こんな言葉を使って礼拝したら、サタンは恐れおののきます。

 もう一つ覚えてください。博士たちがベツレヘムに行くと、彼らが以前に見た同じ星がその町の上を照らしていました。そこに、聖書で一度しか使われていない「この上のない喜び」という表現が出てきます。どれくらいの喜びでしょう?私もいくつかこの上もない喜びを感じたことがあります。たぶんそれが私を牧師にならしめたんでしょう。それは、罪の赦しです。罪人であることに気づいて悩んでいる時に、イエス・キリストが私の罪の為にあの恥ずかしい苦しみを通られ、死なれたことを聖霊様が教えてくださって、引力から解放されたように、景色か変わってしまうほどの感動を味わいました。

 博士たちはこの上もない喜びがあるから、何年かけても、どれだけの距離でも、礼拝に来たんです。彼らをこの上もない喜びに導いたのは星です。まさに、聖霊様が本当の礼拝、イエス様との出会いに導いたと信じます。博士たちは神様に対する飢え渇きをもった賢い人たちです。賢い歩みをしてきた時に、神様からの一方的なあわれみにより、救い主と出会ったのです。私たちが真剣になって、時間、費用がかかろうと主を求めて、主を知ろうと、主を礼拝するなら、必ず主は出会ってくださいます。「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」(エレミヤ29:13)

 礼拝は主が素晴らしいからするんです。イエス様は罪を赦すために来られました。罪から解放されて、自由を得させるため来られました。(ガラテヤ 5:1) 罪から来る劣等感、憎しみ、間違った思いから解放するために来られました。また、イエス様は悪魔のわざを打ち破るために来られました。(Tヨハネ3:8) クリスマスが喜べるのは、赦しがあるからです。受け入れられるからです。永遠のいのちがいただけるからです。イエス様が悪魔の力を打ち砕かれたからです。私たちが喜べる天地を造られた神様との親子以上の結びつきがもてるからです。(Tヨハネ1:3) それを知ったので博士たちはものすごい喜びの中で、黄金、乳香、没薬という最高の宝をささげました。リバイバルです。私たちも信仰をもって黄金、乳香、没薬をささげていくなら、真の礼拝、そこに神の臨在、主との出会い、素晴らしい主の栄光を見ることができると思います。今日、みなさんが礼拝に来られること自体が賢い素晴らしいことです。続けてください。そして、イエス様としっかりつながってください。

2006年12月27日更新

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