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「喜びの生活を求めておられる主」

- 2007年1月14日 -

水野 明廣 師

聖句:ヨエル2:21-24 

 

 喜ぶという事はとても大事な事だと思います。しかし、サタンは喜ばせないようにしていると私は思っています。「主の御前には喜びが満ち」と書いてありますから、主と共に、主の前に生きているなら、私たちは大いに喜んでよいのです。

 神様は、イスラエルをエジプトから出される時、モーセに「『わたしの民を生かせ、荒野でわたしのために祭りをさせよ。』と主は言われるとパロに言いなさい。」と言われました。祭りとは本来踊って喜ぶと言う意味がヘブル語に有るのです。ですから奴隷生活で呻いていたイスラエル人に祭りをさせ喜ばせようとされたのです。

 わたし達もイエス様の十字架の贖いによって罪が赦され、呪いから解放され、自由にされたのです。こんなにうれしい事はありません。もっと喜んでいいのです。人間はこの世の有様を喜び、自分の力の良い結果を喜びます。しかし、主は言われました。「・・ただあなた方の名が天に書き記されている事を喜びなさい。」と、これ以上の喜びが有るでしょうか。喜び踊るめぐみです。 

 神様は人が喜ぶ時いつも良い事をしてくださいます。喜びには力があります。或る医者が癌に罹りあらゆる治療したが治らず、最後に、最高に面白い事、面白い話、楽しい事のみに、徹底して時間を使った結果、癌が治ったそうです。また、外科医の話で、リュウマチの人たちの実験で、同じように漫才、落語を聴いているときに痛みが消え、血液検査の結果も前と後ではぐんと良くなっていたという報告もあるそうです。

 パウロは牢獄にいる時「ピリピ人への手紙」を書きました。その内容は、喜びで満たされ、喜ぶ事を勧めているものです。テサロニケの人々にもいつも喜び、感謝することをすすめています。主に感謝をもって喜ぶとき悪魔を駆逐するのです。ユダの王ヨシャパテは、おびただしい大軍が攻めてきたとき、最前線に賛美チームを置き、「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」と、喜びの声、賛美の声をあげさせた。するとすぐに主が働かれ大勝利となった。とあります。(歴代誌U20:21-22)人間の親でさえ子供が喜ぶ姿を見るのは嬉しいことです。増してや、いつもよいもので満たそうとしてくださる神様に感謝と喜びを捧げるなら、どれほど主が喜んでくださるでしょう。

●「正しい者たち。主にあって、喜び、たのしめ。すべて心のすぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。」( 詩篇32:11)

「主は喜びの叫びの中を上っていかれる。」詩篇は主への賛美と喜びの言葉で満ちています。楽しい事、よい事だけ喜ぶのではありません。イエス様は言われました「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなた方の報いは大きいのだから。・・」(マタイ5:11-12 )と。パウロは喜ぶとき与えられる報いのすばらしさを知っていたのです。皆さんも喜んで報いを受けてください。

 首の骨を折って全身麻痺になられた、星野富広さんの詩「花を見ていたら、みんな日の光の方を見ていた、僕も思った、良いほうを見たらいいのだ。」これをみて感動しました。人には良い事も悪い事も起こります。両方同時に見る事はできない。ならば良い方を、光であられるイエス様を見上げていくならどんなに幸いな人生を送る事ができるでしょう。苦しみが有ってもすべて益と変えてくださるのですから。イエス様は命を捨てて皆さんの罪を負ってくださったのですよ。ですから、主に愛されたものとしてもっと、大いに喜んでよいのです。

 神様はイスラエルを「私の宝」(出エジプト記19:5)と言われました。しかし、イスラエルはそのすばらしい言葉を無視して破滅の道を歩みました。みなさんは、この言葉をしっかり信仰で受け取ってください。 今日のみ言葉。「恐れるな、楽しみ喜べ。」も受け取ってください。

 皆さん。主はに本当に喜んでほしいのです。喜ぶことがどれだけ私たちに幸いをもたらすかを知っているサタンは何とかしてそれを奪おうとして働きます。しかし、主に愛されているのですから信頼して喜んでください。喜びの声を上げてください。 ハレルヤ!!

2007年1月22日更新

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