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「主の目にかなうことが大切」

- 2007年1月21日 -

水野 明廣 師

聖句:アモス7:8

 アモスは羊飼いであり、お百姓でありながら、鋭い洞察力をもって社会を良く見ている人でした。その時代の人々は表面的には、華やかで楽しく生活しているように見えましたが、実は真実や公正が失われて、不平等、差別がはびこっていました。主はアモスに幻で「重りなわ」を見せてイスラエルの民が主に対して、まっすぐに立ているかどうかをはかっておられることを知らせました。

●それから、私に杖のような測りざおが与えられた。すると、こう言う者があった。「立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。(黙示録 11:1)

神様は神の重りなわ、神の測りざおで私たちを測っておられます。人間の測りは、能力、体力、経済力など外面的なものをはかりますが、神は心の値うちを計られます。(参考 箴言 21:2)大切なのは、人の目に良く見えることではなく、神の測りではかられた時主の御心にぴったり合うかどうかです。

 イサクには二人の息子エソウとヤコブがいました。イサクは狩猟が得意なエソウを愛していました。しかし主はヤコブを愛されました。(参考 マラキ1:2)父イサクの測りとかみさまの測りは違っていました。人間的にはエソウの方が立派で魅力的に見えましたが、神様は人間的な弱さを持つヤコブを愛されました。それは自分の力に頼まず、ひたすら神の祝福だけを求めていたヤコブの心が主に喜ばれたからです。私たちイエス・キリストを信じる信仰によって、神の祝福を受け継ぐものとされました。主はご自身の思いを私たちには、分かち合うことを願っておられます。

●まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。(アモス3:7)

 これは私たちに与えられているアブラハムの祝福です。(参考 創世記 18:17)主はアモスを通してイスラエルの民に語られました。

●それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。(アモス 4:12)

 私たちはまず自分の心を見張り、よく耕して主の御声を聞くことが大切です。今日も神様は私たちを祝福しようと礼拝に来た人々をはかっておられます。私たちが主の測りに合う礼拝者になりもっと主に喜ばれる礼拝をささげるなら、神様は礼拝者を通してすばらしい働きをなさいます。

●その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。(アモス 9:11)

 失われていたダビデの幕屋が回復されます。ダビデの幕屋にはただ神の臨在の象徴である契約の箱だけが置かれていて、そこで民は一つとなって絶えず主への賛美を捧げていました。(参考 使徒の働き 15:15-18)
 形式や儀式にとらわれることなく、心からただ主だけに向かって賛美が捧げられる時、そこには主の栄光が満ちます。そして、失ったものを取り戻すだけでなく、神の祝福の実を豊かに実らせ、すばらしい収穫がもたらされます。

●見よ。その日が来る。・・主の御告げ。・・その日には、耕す者が刈る者に近寄り、ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す。わたしは、わたしの民イスラエルの捕われ人を帰らせる。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。(アモス 9:13-14)

 主はすべてを回復されます。すべての問題の答えは主にあります。エソウに妬みを持たないでください。他の人と比べることは愚かなことです。大切なのは私たちの心が主の計りに合っているかどうか、主の重りなわではかられたとき、主の前にまっすぐ立っているかどうかです。ダビデは主だけを求め、主を喜びとしていました。(参考 詩篇 27:4)「どんな時も私は主を求めます。私は主を礼拝します。主を賛美します。」と決心してください。聖霊様が私たちの心を感謝と喜びで満たしてくださり主の測りにかなう礼拝者となれますように祈ります。

2007年1月24日更新

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