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「神の知恵、神のみこころ、祈りと、みことば」

- 2007年2月11日 -

講師:竹田 亮一師
聖書箇所:Tコリント2章1〜16  

●「神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべての事を探り、神の深みにまで及ばれるからです。」(Tコリント2:10)
●「私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。」(2:12) 


 Tコリント2章でパウロは自分の宣教は、ただ神の知恵と神のみこころによるのだと語っています。

5節でパウロは、初めてコリントへ行ったとき、「私(パウロ)は弱く、恐れていた。そして私のことばも、この世のすぐれた知恵や、説得力のあるすぐれたことばによって宣教したのではなく、ただ、神の力、聖霊の働きによったのだ。それは、その目的は、信仰を持った人が、人間の知恵、知識にではなく、神の力にのみ頼るためなのだ。」と語り、

6〜9節で 「しかし成長したクリスチャン達には知恵を語るが、その知恵は、世の始まる前から私たちのために用意された隠された奥義としての神の知恵を語る。神様は私たちを愛してくださっているので、私たちのために用意してくださったものが有るが、しかしこの世の知恵ではそれを悟ることはできない。」

10節「けれども私たちは神の霊を受けているので、御霊によって神の啓示がわかる。この御霊は人間の知恵をはるかに超えて、すべてを探り、神の深いお考えをも教えてくださる。」
11節「いったい人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。」とあります。私たちはお互いに裁いてはいけないのです。自分で自分の心もわからないのに、ましてや人の心がわかるはずがないのです。「ただ聖霊様だけがその深い心の思いを知っておられる。その聖霊様を神様は私たちに与えておられる。それゆえだれにもわからない神の深い御思いをも私たちは知ることができる。こんな素晴らしいものを私たちに与えておられるのです。」というのがパウロの言わんとすることで、この深いところという言葉は非常に魅力ある表現だと思います。       

12節に、「神様が私たちに与えられた祝福がどれほど素晴らしいものであるか理解できるように、神の御霊を与えておられる。とあります。」 
13節「ここの考え方は御霊のことを御霊の言葉と一緒に語る。御霊のことは、御霊にしかわからないのです。そして私たちは御霊によって神からくるその知恵をもって語るということです。」 
14節「ですから御霊を受けた私たちには神の深いみこころがわかるのだ。神の御霊を与えられた私たちは、神様が私たちに与えて下さった奥義をを悟ることができる、すべてを探り知る御霊によって神の深みまでをも。」ということをパウロはこのTコリントの2章で 語っているのです。私(竹田師)はこの箇所に深く心うたれます。

 私たちは、この世の知恵、知識、自分の賜物等を介して、肉をとうして信仰を持っているのではなく神の知恵、神の知識というものが聖霊をとおして私たちに語られるから、私たちはここに到達できるのです。13節に語ると言う言葉があります。神の知恵、神の知識を受けている私たちは語らなければいけないのです。

 いまの時代は、ポスト・モダンの時代と言われ、近代が終わり、次の時代へ入った大きな転換期にいるそうです。近代の特徴は科学的な理論によって真理に達するという考え方でした。ところがいまの時代は、理論、理屈、科学的証明は必ずしも真理を解明できないと言う考え方で、特に若者の中にそれが起こり始めたそうです。  

 このことはクリスチャンにとってチャンスなのです。信仰とか神様の御心を知ることは、理屈ではない。聖霊様と交わり聖霊様に頼るということは、神学や言葉では説明できない。例えば愛という感情は理屈では説明できない心の奥深くに関した事である様に、人の心、宇宙も計り知れないものがある。人々がそのことを解り始めた今福音を語るのによい時となっているのです。 

 次にクリスチャンとしてどう生きるべきかを見るとき、祈りと御言葉は不可欠です。祈りとはお願いだけではなく、対話です。人間の親子でも子供が親を無視し対話をしないなら淋しいように、神様も私たちが神様にいつも目を向け語るならそれを喜んでくださいます。友に語るように、親に語るように、心を明け渡して語るとき、喜んで聞いてくださり、必要な助言を与えてくださいます。
神様は、私たちとの関係を楽しむために私たちをお創りになり、私たちへの愛のゆえにイエス様を十字架にかけられた、私たちが父なる神と共にいることができるようになるためにと。

 私たちが人生を歩むとき、色々なことが起きます。その時、常に神様との語り合いをしていれば、神様のお声かどうかがすぐ理解できます。人との関係でも親しくしている人の声、考えはすぐに理解できます。
 「使徒の働き」にパウロが、度々聖霊様からの御声を聞き、そのお声に従って行動することが記されていますが、この事によってパウロがいかに神様と密接な対話をしていたかが、うかがい知れます。と同時に御霊に満たされていたかも解ります。

 聖書は最初から最後まで神様の御心を表している「ことば」です。ことばは考えの表現です。日本人が日本の文化、日本人の心を理解するためには、先ず日本語をまっとうすることが大切です。それは、言葉は物理的な影響だけでなく心、思い、考えに影響を与えるからです。  
 聖書はそれなのです。聖書の最初から最後まで 多種多様な記述者によって又内容によって、私たちに神様の深い願い、愛を表しておられるのです。聖書は聖霊様に導かれて書かれた生きたことばです。そのみことばに信頼してゆだねるとき、みこころを悟り、御声を聞くことが出来ます。それゆえ聖書を読むことは大切なのです。

2007年2月16日更新

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