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「信仰者の生活とは」

- 2007年3月11日 -

講師:水野 明廣師
聖書箇所:ハバクク2:1、3:17

●「私は、見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう。」
 
●「そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。」

 
 ハバククは預言者ですがここで自分を国の見張り人と言っています。本来クリスチャンも皆、見張り人なのです。先に救われた者は、救われていない人々のために、国の為に、世界の為に祭司(とりなし手)としての役割があり、見張り人としての仕事があるのです。

 私たちが救われると同時に、すぐ天国に上げられるならどんなによいでしょう。しかし、救われて尚この地に置かれているのは、私たちが置かれているところのすべての破れ口を修理するための見張り人だからです。私たちの周りの人々の為に、主が何と語っておられるか聞かなければいけないのです。

 私は教会の皆さんが祈り、支えてくださっていることを喜んでいます。皆さんもこの教会においてどうぞ牧師と同じように見張り人として共に働いてください。今の時代もこのハバクク2:5−19節と同じように、高ぶる者、他人の財産で私服を肥やす者、略奪者、暴力、不正な利得者、流血、恥をさらけ出す者、暴虐と残虐、偶像礼拝、等で満ちています。
しかし、しかしです。20節に「しかし主は、その聖なる宮におられる。全地よ。その御前に静まれ。」とあります。主はその聖なる宮から全てのものを見通し、そのまぶたは、人の子らを調べ(詩11:4)、来て証人となられるとあります。(ミカ1:2)
 
 数年前、アメリカの潜水艦が突然海上に浮上して、丁度真上を通っていた日本の船が真っ二つに折れてしまった事件がありました。潜水艦には浮上時、3人の見張り人と艦長が見張ることになっているのです。ところが全員がソナーからも、レーダーからも目をそらしていたのです。また関西電力では20年に1度の検査を怠ったために、爆発事故で多くの犠牲者を出した事件がありました。重大な過失です。見張人の仕事がいかに大切であるかお解りでしょう。クリスチャンの責任も大きいのです。

 イスラエルがミデヤン人に圧迫されていた時代、酒ぶねに隠れて麦を打っていたギデオンに、主の使いが突如としてあらわれ、「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」と、呼ばれます。彼は名もなき一介の農夫の子、「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存知のように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」 と自分の無力さを告白します。(士師記6:15)しかし、「主は ギデオンに仰せられた。『わたしは あなたといっしょにいる。だからあなたは一人を打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。』」

 ギデオンは恐れながらも、自分の思いを語り、また神の語られることを聞き、忠実に実行しました。偶像の祭壇を打ち壊し、また、十三万5千人の敵と戦うために集まって来た三万二千の兵士を神が言われるように三百人に減らします。この三百人は水を飲むとき他の兵士のように無防備な飲み方ではなく、周りに注意を払った用心深い飲み方をした者達でした。ここから何を学ぶのでしょうか。
 水を飲むという、自分の必要の為、生活のためだけに思いを向けるのではなく、見張り人として地域のため、日本のため、子供達のために神はなんと言われるか、聞かなければいけないのです。どうぞ聞いてください。そしてそのために祈ってください。主は 祈る者の祈りに喜んで耳を傾けてくださいます。見張り人としての働きを忘れないで下さい。 

●ハバクク3:17 「そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。」

 敵軍の攻撃で、田畑は荒らされ、牧畜もできなくなるという悲しい現実の中で、この預言者は、「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。」(3:18)と語っています。 本当の見張り人は現状の有様に動じず全能者のご臨在の中で、喜び、賛美します。私たちもこのような見張り人となりましょう。
 

2007年3月16日更新

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