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「生きておられる主がともにおられるから」

- 2007年4月8日 -

講師:水野明廣師
聖書箇所:ハガイ1:13

●ハガイ1:13「そのとき、主の使いハガイは、主から使命を受けて、民にこう言った。『わたしはあなたがたとともにいる。―主の御告げ。−』」
●ヘブル7:24・25「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、かわることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって、神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」
●ルカ24:1〜8 「週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。…・・女たちはイエスのことばを思い出した。」


 イエス様につき従って仕えていた女たちは、イエス様の苦しみのときもそこに居て、墓に葬られる時までの一部始終を見ていたのです。一方弟子たちもイエス様といつも行動を共にし、イエス様の全てを見て来ました。病人を癒し、死人を生き返らせ、悲しむものを慰め、多くの奇跡をされたのを見てきました。弟子達はこのイエス様のために全てを捨てて従いました。
ところが突然そのイエス様が捕らえられ、つばきをかけられ、あざけられ、こぶしや平手でなぐられたり、鞭打たれ、挙句の果てに十字架をかつがされ、十字架上で亡くなられたのです。弟子達、特にペテロのショックは、大きかったのではないでしょうか。親も仕事も捨ててイエス様に従い、この方こそメシアだと信じていたのに、これは一体どういうことなのか!なぜなのか!と。

 その金曜日の夜、弟子達も付き従っていた女達もどのような夜を過ごしたのだろうと私はいつも思います。いつも誰にでも優しくおことばをかけ、接せられたイエス様、イエス様のように愛にあふれ、柔和で、親切で、正しい方がどうして!と皆不条理感でいっぱいだったのではないでしょうか。明くる土曜日、どんな気持ちで過ごしたのでしょう。そして週の初めの日、明け方早く、女の人たちは、準備していた香料を持って、墓の入り口には大きな石があるのを知ってはいたけれども、出かけたのです。行って見ると何とその石は取り除けられていたのです。そして天使がそこにいて「あの方はよみがえられました。ここにはおられません。」と伝えました。「あの方はよみがえられました。」そうですよみがえられたのです!よみがえられたイエス様に出会った人々、弟子達の喜びはいかばかりだったでしょう。

 皆さんの人生にも金曜日があります。今その中におられる人がいるかもしれません。不当な仕打ち、裏切り、悲しみのどん底、踏みにじられ、見捨てられ、クリスチャンになったのにどうしてなのか。信仰の喜びはどこにあるのか。弟子達もそうでしたイエス様について行けば大丈夫だと思ったのに、イエス様はさんざんいたぶられ、酷い目に合わされているのに何もされない。その上十字架につけられ殺されてしまったのです。しかし、その後よみがえられた主にお会いできたのです。

●「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」(へブル2:18)
●「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(へブル4:15)
●「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救う方に向かって、大きな叫び声と涙を持って祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえによって聞き入れられました。」(へブル5:7)


 今日一人の姉妹から手紙をいただきました。「祈りも出来ないほどの絶望の中で、あまりの苦しみで叫ぶ声もないそのような時、ただ聖書を声を出して読みました。御言葉を繰り返し繰り返し読んでいると、なんと主の臨在に包まれたのです。そして『一緒に踊ろう〜』とイエス様が言われたのです。イエス様は確かに居られますね。」

 また別の女性も、苦しい、あまりにも悲劇的な環境の中に居て、身も心もずたずたになりイエス様の福音の恵みは頭では解るけれど心ではわからない、といつも泣いていました。ところが或る時イエス様が直接「あなたの罪のために、わたしは死にました。」と語られ十字架を見せられたのです。その瞬間喜びと感謝でいっぱいになったそうです。

 また、或る姉妹は階段から落ち、首の骨を折り死んだ状態になりその時イエス様にお会いしたのです。痛みの中でも感動の涙を流していました。

 このように、イエス・キリストが生きておられて共に居られると言う事を多くの方々が現実に経験しておられます。

 私は今日、皆さんに知ってほしいのです。どのような金曜日があったとしても、土曜日だったとしても、日曜日、週の初めがあるのです。イエス・キリストは生きて私たちといつも共に居てくださって会ってくださるのです。

 一人の牧師は長い長い間、自分の身体のことで、心を痛めていました。が最近突然イエス様が「お前の体はわたしが作ったのだ、わたしの責任でお前の責任ではない。わたしが責任を取る。わたしはそのままで愛している。」と言われ、喜びと感動の中で自分が本当にいとおしく思われ、自分が好きになった。自分を愛さなくてはいけないということが改めてわかった。「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」このおことばがよくわかったと、とてもうれしそうでした。私たちも主との出会いを期待しましょう。
 
 私たちクリスチャン生活は主を知る旅です。生きておられる主との交わりを更に深める旅です。今日はイースターです。イエス様は今も生きて皆さんのためにとりなしをして下さっています。

●「わたしは、よみがえりです。いのちです。…」(ヨハネ11:25)
●「・・よみがえられた方であるキリストが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。・・」(ローマ8:34)


2007年4月13日更新

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