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「主が立ち上がってこられるために」

- 2007年4月22日 -

講師:水野明廣師
聖書箇所:ゼカリヤ2:13,4:6

 先週、友人の牧師から自分が体験した証しを聞く機会がありました。数ヶ月前に、彼がアメリカに行った時、預言者から預言を受けたそうです。「あなたは自分は歳を取っているからもうだめだ、と言ってはならない。私はあなたをもっと用いる。しかし、その為には、あなたは大きな苦しみを通らなければならない。」と言う預言でした。友人はそれを聞いた時、嬉しいやら不安やら複雑な思いだったようです。

 そして、その数ヶ月後に、突然、胸が苦しくなって倒れ、入院し、死の淵をさまよったそうです。また、天国に行って来たそうです。彼がイエス様の傍に行くと、イエス様は真っ白な衣ではなく、血に染まった衣を着ておられるのを見たそうです。その主が共にいてくださるのです。

 クリスチャン生活のポイントは主が共にいてくださると言うことです。

 旧約聖書の中には、モーセがイスラエルの民をエジプトから導き出した時、神はイスラエルの民に現れて「あなた方近づいて死ぬといけない・・・。」と言われたことがあります。主が山の上に下られ、臨在を現された光景は、それは恐ろしいものだったと聖書にあります。主が共にいて下さる・・・これは、決して、小さなことではないのです。

 幕屋に使える祭司たちが聖所に入っていく前には、祭司たちは必ず、いけにえの血と水の洗いによって、何度もきよめてから入っていかなければなりませんでした。

 このようなことを考える時、主が私達と共にいてくださると言うことは、なんと大きな恵みでしょうか?そして、この大いなる主の働きを豊かに体験できる人は、その肉的な思いや力を捨てた人、頼らない人です。

 モーセは、肉が静まるまで40年かかりました。エジプトの王子として育てられたという肩書き、能力、力・・・・これららがかえって彼の働きを阻害していたのです。自分の力でイエスラエルの民を解放しようとして、エジプト人を殺してしまいました。しかし、誰も彼に従ってくれませんでした。

●詩篇127:1
「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。」

●詩篇3:7・9:19・10:12 「 主よ。立ち上がってください。・・・・」

●詩篇47:5 「 神は喜びの叫びの中を、主は角笛の音の中を、上って行かれた。」


 ヨシャパテ王は主から豊かに祝福された人ですが、大きな敵の前では、断食して祈りました。「主よどうしていいかわかりません。」と。その祈りに主は答えられて、「クワイヤーを戦いの前面に出させよ。」と言うものでした。人知をはるかに超える戦い方法ですが、主の使いが来て敵を倒してしまいました。主が共にいてくださり、主の臨在を現してくださるなら、神の御わざが起きてきます。

 自分の力ではなく、主が立ち上がってくださって、御わざをされなければ、私たちは何もなしえません。

 そして、次に大切なことは、聖さを追い求めることです。ダビデは契約の箱を運ぶ時に、律法とは違う方法で運んで大きな失敗をしました。それは、牛車で運んだため、契約の箱が落ちそうになったのを、ウザが押さえた時、神の怒りに触れて彼が死んでしまったのです。しかし、その箱をお預けたオベデエドムの家が祝福されるのを見たダビデは、今度は神の教えに従って運び運び上りました。

 私たちも聖められて主の御前に進んで行きましょう。イエス・キリストの十字架の血潮によって聖められ、罪赦され、そして、主の御前に出て行きましょう。


2007年4月28日更新

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