トップページへ神の家族キリスト教会

 

- 2007年5月13日 -

講師:禹 浩 鉉牧 師
聖書箇所:Tサムエル1:9-18,20

●ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」「…・私は心に悩みの或る女でございます。…私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。…」日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を主に願ったから。」と言って、その名をサムエルと呼んだ。
 
 今日は母の日です。聖書の中には沢山の母が出てきますが、最も理想的な母親はこのサムエルの母ハンナではないかと私は思います。

ハンナの夫には、ハンナの他にもぺニンナという妻がいました。彼女には子供がいましたが、ハンナにはいませんでした。ハンナはその悲しみに加えて、ぺニンナの意地悪に悩まされ苦しんでいました。そして或る年、主の宮に上って行った時、ハンナはTサムエル1章の御言葉にある様に心を注ぎだして祈ったのです。

 私は、ある時、この箇所を読んでいてハット気づかされました。今までにも、ハンナは子供を与えて下さいと、数えきれないほどに、切に祈っていた事でしょう。しかし、すぐ与えられなかったのは、神様がハンナにこの祈りをさせたかった、この祈りに導いて、生まれてくる子供をイスラエルの指導者として立たせ用いるために、神の者として神にささげるように、神が導かれたのではないかという思いを与えられました。

 私たちの人生においても、祈っても、祈ってもかなえられない場合があります。かと思うと、一二度でかなえられる時もあります。何故でしょう。一つ言える事は、私たちは色々な願いや思いを持って祈りますが、主は私たちの事を一番よくご存知で、私たちの為には最善のご計画を立てていてくださっていると言う事です。そして神の計画だけが成るのです。それは私たちが考えている事よりはるかに良いのです。例えば貧しい人々や国々にお金を与えて援助する事は良い事ですが、更に良い事はそれらの人々が自分達で必要を生み出していくようにしてあげる事が更に良い事ではないでしょうか。そうでなければいつも誰かに依存して生きていかなければなりません。でも、自分で必要を生み出すことが出来るなら、自立して生きていくことが出来ます。

 クリスチャンが祈って必要を与え続けられるのが、必ずしも私たちにとっての最善とはいえないときがあります。ハンナのように苦しみの中で正直に心を注ぎだして祈って主に導かれていく時、私たち自身も大きく成長し、道が開かれ祝福を見ることが出来るのです。

 なかなか叶えられないと見捨てられたような気持ちになりがちですが、神はいつも私たちの祈りを聞いておられ、また見ておられ、答えようと待っておられるのです。親は子供が何かを欲しいと思っている事を知っても、子供が言うまで与えないで子供が言い出すのをじっと待つ時があります。神様もそのように待たれる時があります。ですから、主の前に正直になって心を注ぎだして祈りましょう。それは主との親密な交わりでもあります。

 また、雨のしずくによって固い石や岩に穴が開いたり、ひびが入ったりするように、たとえ小さな祈りであっても、祈り続ける事が大切なのです。もしハンナがあきらめて、祈る事をやめたらどうだったでしょう。ハンナの苦しみの祈りを通して、歴史を大きく転回する人物の誕生があったでしょうか?母ハンナの継続した深い祈りによって、次世代を荷う者として、神にも人にも愛され成長してゆく少年サムエルが生まれました。ハンナのようにあきらめないで祈り続けましょう。しずくのような小さな祈りでもいいのです。

 私たちクリスチャンはキリストの命を通して救われた者として、信仰ををしっかり持って、この世の現実に流されないようそれを乗り越えて、召された者として勝利して生きて行くべきです。そのために、私達の祈りを喜んでくださる主に、いつも正直に心を注いで祈り、あきらめる事無く、祈り続けるものでありたいと願います。キリストは今も私達の為に天でとりなしをしてくださっています。

2007年5月19日更新

先頭へ

戻る