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「主に求める時期に求めることが肝心」

- 2007年5月20日 -

講師:水野 明廣 牧師
聖書箇所:

ゼカリヤ10:1、使徒の働き1:8

●後の雨のときに、主に雨を求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる。(ゼカリヤ10:1)


 “信仰と希望と愛”これは、私たちが人間らしく生きるために、また神の子として地上で生きるために最も大切な要素です。信仰を揺るがすもの、希望を奪うもの、愛の道を崩そうとするものも働いています。イエス様が約束された聖霊様を求めていくとき、聖霊様は信仰の御霊として私たちに信仰を与えてくださいます。そこには状況に負けない希望があります。聖霊様が私たちに信仰と希望と愛を与えてくださるのです。

 アメリカ大陸にバイブルベルトと呼ばれる地域があります。ヨーロッパから移民としてきた人が開拓農民として土地を耕し始めたのですが、「主よ雨を降らせてください。」といつも神に祈りました。この地域は川がないので上からの雨を求めるしかありません。初めの雨と後の雨が降らないと穀物が育たないため、日常生活でいつも彼らは神を見上げ祈っていました。神を信じること、祈ることは彼らにとって生きることそのものでした。この素朴な信仰が受け継がれ、世界中に最も多くの宣教師がこのバイブルベルトの地域から送り出されました。

●しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1:8)

 これはイエス様が弟子たちに語られた最後の言葉です。弟子たちは約束の聖霊を待ち望みました。そしてペンテコステの日に激しく聖霊が臨み彼らは変えられました。これが初めの雨です。初めの雨が注がれている間、ローマ帝国によって完備された道路を通って福音が世界中に広がっていきました。そして今から約100年前ロサンゼルスのアズサ通りで、人々から虐げられていた黒人の人たちが物置で集まって主を賛美し礼拝していたとき、後の雨が注がれました。

 優れた能力、力ある人たちでもなく、すばらしいクワイヤがあったわけでもなく、立派な会堂があったわけでもありませんでした。しかし使徒行伝以上の聖霊の働きによって、多くのペンテコステの巨大な教団がそこから生まれ、また1950年代になって車、船、飛行機を使って世界宣教が勢いを増していきました。そして今日カトリックも含めあらゆる教団、教派に聖霊の雨が注がれています。

 私たちはこの時代に生かされて聖霊の恵みを信じ、求めるものとしてくださったことを感謝しましょう。『栄光のおとずれ』(生ける水の川出版)という本の中で証されているトミー・ヒックス牧師は、聖霊様を求めて祈っているとき、アルゼンチンに行って、独裁者であったペロン大統領のために祈れと主から言われました。彼はペロン大統領の宮殿に会いに行きますが、当然ガードマンに止められました。しかし彼がガードマンの病のために祈ると、たちまち癒されたのでペルー大統領に取り次いでもらうことができ、大統領に手を置いて祈ると、重い腎臓病が癒されました。このことによって、トミー・ヒックス牧師はアルゼンチンのサッカー場を借り切って福音を宣べ伝えることができ、聖霊様の栄光の現われが6ヶ月間続きました。これがアルゼンチンの栄光のリバイバルです。一人の青年が聖霊に満たされ導かれて栄光のリバイバルが起きました。

 神様は私たちをえこひいきしません。イエス様は渇いているならわたしのところに来て飲みなさいと言われます。私たちに必要なものはもっと聖霊の雨にひたされることです。自分の問題、家族の問題、いろいろなことがあります。でも聖霊様は能力の御霊です。今、私たちは聖霊様を求める時期なのです。今は後の雨の時代です。主に渇いて求める人には誰でも、聖霊の雨を注いでくださいます。あえて言うならば聖霊の注ぎは上から下るので、心が低く心砕かれている人、きよさを大切にする人に豊かに注がれます。人間にとって最も大切なことはどのような思いを持つかです。よくない思いを取り除きたいなら聖霊に満たされ、聖霊様の思いで満たしていただきなさい。そうすれば自然に悪い思いは追い出されます。“肉の思いは死であり、聖霊の思いは命と平安です。”(ローマ8:6)

 神はすべてをご存知です。見せかけは通用しません。聖霊様はいつも私たちとともにおられます。この方をいつも歓迎して、いつも慕い求める者となりましょう。聖霊様は人格者です。私たちに求められることを喜ばれます。私たちに必要なのは聖霊様の圧倒的な臨在であり、その流れです。後の雨の時にさらに雨を求めていきましょう。

2007年5月23日更新

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