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「主に仕える生活が大切」

- 2007年7月1日 -

講師:水野明廣牧師
聖書箇所 マラキ書3:18

 私達クリスチャンが神様から御言葉を頂けるというのは、私たちの幸せのためです。先週は、ここでステファン・ダービーシャー先生が語られました。「シュネムの女が、預言者をいつも歓迎して大事にしていましたが、それだけでは満足しなくて、預言者のためだけの部屋を作りました。(U列王記4:10)皆さんの人生にも神様だけの場所や時を設けて、主との交わりをしっかり持って下さい。そうすればどんなことがあっても主が支えられますよ。」と語られました。

 主に仕える事がとても大切だという事が、今日のメッセージです。このマラキの時代に、素晴らしい祝福を目の当たりに体験したのですが、ユダヤ人達は捕囚の民として生活するようになりました。しかし、70年の後に、神様の恵みにより、クロス王が立ち上がり、彼らは祖国に帰ることが出来ました。戻ってきて最初に神殿をつくりました。主を褒め称え礼拝し主の御言葉に歩みました。

 しかし、その感動も喜びも束の間、神様への感謝、愛が失ってしまい、神に捧げるものもいらないもの、傷のあるものになっていきました。祭司達も好き勝手に語り、夫婦関係、親子関係が壊れて行き、社会が荒れていきました。この状況の中、マラキは語りましたが、民は「神様はおられるというのに悪者は栄えているではないか」とつぶやきました。(2:17)彼らは神に仕えることは空しいと言い始めるようになりました。(3:14)

 かつてユダヤ人達は、奴隷から解放され、エジプトを出るときに感動し喜びました。さらに富を持って出て行ったでしょう。しかし、その喜びは3日も続きませんでした。これは他人事ではありません。ガラテヤ6:9には「善を行うのに飽いてはいけません。」とあります。しばらく熱心だった祈っていた。いつも浮き沈みが激しいというのではなく、今でも主に忠実な人は少ないと思います。

 神様にとっては40、50年は短いです。私たちは旧約聖書に出てくる人物を見ていると教訓、警告が与えられます。あのソロモン王は神に喜ばれ、神から知恵の心と判断する心を与えられました。(T列王記3章)富も権力も長寿も求めず、神が召した王としての知恵を求めました。しかし、そんな彼も年をとるにつれてだんだんと心が神に離れていきました。アサ王もそうです。またヨアシュ王は、立派な祭司がいる間だけは神に仕えていました。年を重ねるにつれて、もっと主をしたい求めていってください。どんな状況の中でも、主に対しての心がもっともっと忠実になり、主をもっと慕い求めて、心をご覧になられるイエス様に喜ばれるような心を持っていきましょう。

主に仕えるという事は、

●主を礼拝し、賛美することです。主への感謝が捧げられて行くうちに、主への愛が深くなって行きます。くちびるを通して、捧げ物を携えての礼拝があります。ダビデが過ちを犯してしまった後、まず神様にした事は犠牲を持って礼拝をしました。費用がかからない礼拝はしませんと彼は言ったのです。私たちはまさに天国がここにあるという礼拝を捧げて行きましょう。

●神が愛であるように、私たちが目に見える兄弟姉妹を愛していく事です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛する事出来ませんとヨハネは語りました。(Tヨハネ4:20)先ず信仰の家族に仕えてください。(ガラテヤ6:10)その次に自分の家族です。だからといって自分の家族をないがしろにするという事では決してありません。主は、信仰の家族を重んじます。多くの人達は信仰の家族よりも自分の家族を大事にします。ですから上手くいきません。”‥‥互いに愛し合うこと、これが私の戒めです。”(ヨハネ15:12)互いに愛し合う事は、最高の伝道とある先生がおっしゃいました。神の家族である教会は、励まし合い、支えあう、慰め合うところです。

●最も小さい人たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(マタイ25:40)一時的にするのではなくて、続ける事が大切です。すぐに良い結果が出るとはいえません。マタイ25章にあるタラントの話では、それぞれの違った分を与えられ、違った立場でどのように用いたか主人は見ました。褒めるときにかけた言葉は、「よくやった。忠実なしもべだ。」これは、イエス様は忠実である事を求めます。という言葉です。マラキ書4:1には、”すべて悪を行う者は、わらとなる。‥‥彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。”とあります。愛の労苦は何一つ空しい事がありません。主に仕える者は、義の太陽が上ります。癒しがやって来ます。(2節)神の栄光の光が輝いてきます。皆さんが主に仕えていく道をひたむきに歩まれますように。心から願います。

2007年7月8日更新

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