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「祈りとしるし」

- 2007年7月22日 -

講師:禹 浩鉉 師
聖書箇所 創世記24:1-28

●アブラハムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。(創世記13:2)
●そういうわけで、信仰による人々が信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。(ガラテヤ人の手紙3:9)


 アブラハムはいろいろな面で本当に祝福された人でした。そして財産だけではなく、忠実で誠実なしもべが与えられていました。これも大きな祝福です。アブラハムは全財産を管理している最年長のしもべに、イサクの妻を迎えてくるように依頼し、送り出しました。そしてしもべは目的地に到着した後、心から祈りました。

●「私の主人アブラハムの神・主よ。今日私のためにどうか取り計らってください。私の主人アブラハムに恵みを施してください。」(創世記24:12)

 彼は、自分の為に、そして、アブラハムのために素直に単純に祈りました。この祈りは答えられました。

@祈りを聞いてくださる主

 信仰生活は、神様を中心にして、このお方を信頼して歩んでいくものです。安定した有意義な信仰生活は、神の助けなくしてできません。神には何でも相談できます。主は私達の願い事、苦しみ、悲しみ、内にある思いを聞きたいお方です。だから、すべてを打ち明けて、心を注ぎ出して正直に素直に単純に祈って下さい。

●しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ人への手紙5:8)

 私たちの神は本当によいお方です。私たちを愛し、いつくしみ、罪の中にいる私たちを助け出したい、試みの道にいる私たちを助け出したいと願っておられます。このお方に委ね、信頼するならば必ず最善をなして下さいます。


A環境の中にしるしを与えられる主

 アブラハムのしもべは、祈りの答えとして自分が最善と思える「しるし」を求めました。

●「私が娘に「どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませて下さい」と言い、その娘が「お飲み下さい。私はあなたのラクダにも水を飲ませましょう」と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」(創世記24:14)

 祈りがかなえられたかどうか<しるし>を下さいと祈ることは、悪いことではありません。私たちは一生懸命祈っても、御心かどうかわからなくて進めない時がありますが、条件をつけて祈り、その通りになっていく時に、主が導いておられるとわかり、大胆に踏み出していくことができます。

B祈る者を導かれる主

 しかし<しるし>だけで歩むのではなく、私たちは自分の弱さを覚えて御霊に導かれて御心の内を歩み続けなければなりません。サタンの惑わし、人間の側の思い込みということもあるからです。アブラハムのしもべは自分の能力にも頼らず、価値観でも判断せず、へりくだり主に祈り求めました。私たちは時に、祈る前に計算してしまいます。可能性はないかな、祈っても無駄かな・・・と。これは信仰ではありません。たとえ不可能でも主に信頼して祈ること、無理だろうと思えることにおいてもそれでも主に信頼して祈るのが信仰の祈りです。もっともっと主に期待しましょう。祈る人には主の導きがあります。

 皆さんの祈りが変えられますように。神の業を豊かに体験し、アブラハムの祝福を受け取りましょう。
 

2007年7月28日更新

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